他の国での使用例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 21:30 UTC 版)
「ヘルメット (ドイツ軍)」の記事における「他の国での使用例」の解説
以下、それぞれの国に最初に導入された時代順に述べ、最後に第二次大戦後の動きを概括する。 第一次大戦世界大戦時まで 19世紀末からドイツ陸軍を模範に陸軍近代化を進めてきた南米諸国(ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ボリビア、チリ、アルゼンチン等)では、ドイツ式の軍服とともに最初ピッケルハウベが、次いでシュタールヘルム型のヘルメットが採用された。軍服_(南アメリカ)も参照。 第一次世界大戦時にドイツと同盟関係にあったオーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリアにシュタールヘルム型のヘルメットが導入され、大戦後の後継国家であるオーストリア、ハンガリー、ブルガリアでも引き続き用いられた。 大戦間期 - 第二次世界大戦時 フィンランド軍では、ドイツ式を含む複数のタイプのヘルメットが混在していたが、第二次世界大戦時にはソ連との対抗上枢軸側についたことから、ドイツから供給されたヘルメットが標準的な装備となった。 ラトビア軍、エストニア軍、リトアニア軍では、旧宗主国のロシアからの差別化の意図もあり、独立後第二次世界大戦開始前後までドイツ式のヘルメットが導入された。 アフガニスタン軍においても第二次世界大戦時にドイツ式のヘルメットが導入され、1980年代まで使用された。 中華民国の国民革命軍は、中独合作により軍服にもドイツ軍の影響が見られたが、その最も顕著な現れの一つがヘルメットであった。日中戦争の開始を経て中独合作が終了した後も、それらが英米から供給されたヘルメットに取って代わられるのにはしばらくの年月を要し、後の国共内戦では国民革命軍と工農紅軍(中国人民解放軍の前身)の双方が使用していた。 第一次大戦後のスペイン軍ではドイツのシュタールヘルムに強く影響されたヘルメットが採用され、1931年の共和制以降を経て、36年の内戦勃発後も、反乱軍、共和国軍双方で引き続き使用された。うち反乱軍にドイツから直接供給されたシュタールヘルムは、内戦後のフランコ政権下ではスペイン軍の標準的な装備となった。 戦中の日本では民間における防空用としてシュタールヘルムに類似した形状の鉄帽が販売されていた。 第二次世界大戦後 ドイツの敗戦と共に、またそのマイナスイメージのため、シュタールヘルム型のヘルメットを用いる国は激減したが、オーストリア、フィンランド、スペイン、アルゼンチンといった諸国では、1950 - 70年代まで実戦装備または礼装用に用いられていた。また南米諸国のうちチリ、ボリビアでは、ピッケルハウベとならんで、礼装用に現在でも使用されている。 東ドイツの国家人民軍で用いられていたヘルメットは、ベトナム、キューバ、ニカラグア、アンゴラといった諸国にも供給された。 日本の消防ではシュタールヘルム型を原型としこれにフランス軍のアドリアンヘルメットと類似した「鶏冠」を追加し金色の塗装を施した消火ヘルメットを使用している。 中独合作のイメージ画。国民革命軍の装備がドイツ軍の強い影響を受けていることが分かる。 中国国民党の国民革命軍。 整列したハンガリー矢十字党員 リトアニア陸軍の軍装(1938年) リトアニア陸軍の軍装(1939年) 第二次世界大戦中の、フィンランド軍対空部隊の中尉(Lieutenant) チリ陸軍の将校 北ベトナム軍の軍装。手前に東ドイツ製のヘルメットが展示されている。
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