二の丸騒動とは? わかりやすく解説

二の丸騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 05:42 UTC 版)

諏訪忠厚」の記事における「二の丸騒動」の解説

事件は、千野が藩財政いくらか再建することで始まった諏訪家家中には当時家臣2つ派閥があった。ひとつは鎌倉時代から諏訪氏仕えてきた累代重臣千野氏で、高島城三の丸屋敷構えていた。これに対抗するように初代藩主水の弟・頼雄を祖とする高遠藩家老一族がいたが、これは二の丸屋敷構えていた。これらは知行は共に1200石で、交代歴代家老輩出してきた家柄である。 ところが千野改革功績挙げたことで、もう一人家老である諏訪頼保は、千野に藩の実権を完全に掌握されるのではないか恐れおののいた。そこで頼保は、千野追い落とし計画する。忠厚には渡辺左衛門という寵愛している江戸詰側用人がいたが、頼保はこれに近づいて、共に千野追い落とし図った。頼保は忠厚に対して千野改革領民から税をむしり取るだけのものであり、領民一揆起こしかねないほど千野恨んでいる」と讒言した確かに千野改革は税を搾取するのが主であったため、領民苦しんでいたのは確かであったが、忠厚はこれに対して大した調べもせずに千野家老から解任して知行召し上げ閉門処分にした。こうして頼保は首席家老となり、150石の恩賞まで受けた。しかし、このような頼保に清廉なところも、政治手腕もなかった。頼保はいわゆる時代劇悪代官」であり、賄賂を払う者を多く取り立て、女や酒を周り集めて遊興淫らな行為走るなど、千野上の悪政行なったのである。 しかし千野このまま黙っていなかった。安永8年1779年3月勢い盛り返して江戸にいる忠厚のもとに乗り込み、頼保の淫らな行状訴えた。これを知った忠厚は激怒し、頼保を家老から罷免し、知行召し上げ閉門処した。 だが、頼保はすぐに巻き返し出た。忠厚には正室との間に男児がおらず、側室との間に2人の息子がいた。一人はおとめ(木村氏)が産んだ軍次郎(後の忠粛)、もう一人はおきそ(北川氏)が産んだ(後の頼庸)である。忠厚はおきそを溺愛したため、家督譲ろう考えていた。そこで頼保は忠厚の寵臣である渡辺手を結び長男軍次郎廃嫡して跡継ぎとしよう画策した。こうすれば藩主になったとき、頼保は藩主擁立功績第一人者となれるからである。 これを知った千野は、いくら何でも主家家督にまで手を出すのには反対で、家督長男が継ぐべきと考えていた。そこで二の丸派の動き阻止しようとしたが、渡辺が忠厚に対してまたも讒言したため、千野は忠厚の命で家老罷免の上押込となった。こうなると頼保は勢いづき、軍次郎調伏し、さらに忠厚の正室軍次郎支持しているのを苦々しく思って、忠厚に対して正室との離別提言した。忠厚もいつまでたっても子を産まない正室苛立っていたため、正室強制的に離別させられた。 一方押し込めとなっていた千野は、松本藩松平光和の命により差し向けられ忍者芥川義矩によって救出された。これには、秘薬使って透明になり、警戒厳重な牢屋忍び込み千野にもその秘薬与え、共に透明人間となり、誰にも気付かれずに脱出した、との伝説がある。このような家督騒動事態になったことを憂慮し千野自分の死を覚悟して江戸松平乗寛のもとへこの事態訴え助け求めた。乗寛は忠厚の妹婿で、奏者番務めていた。事態知った乗寛は、幕閣がこれを知れば改易なりかねないことを憂慮し天明元年1781年10月、忠厚を説得して家督長男の忠粛に譲らせることを実現した。さらにこの功績で、千野は再び家老復帰した。 そして頼粛を調伏して藩政牛耳ろうと企んでいた二の丸派は、天明3年1783年7月、頼保が切腹渡辺ら4名は斬首という処分下され、ようやく「二の丸騒動」は終焉した。全ては単純暗愚藩主・忠厚から始まったと言っても過言ではない騒動であった文化9年1812年)、忠厚は67歳死去した

※この「二の丸騒動」の解説は、「諏訪忠厚」の解説の一部です。
「二の丸騒動」を含む「諏訪忠厚」の記事については、「諏訪忠厚」の概要を参照ください。

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