事件直後の状況
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「ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件」の記事における「事件直後の状況」の解説
地上は大混乱に陥った。大統領を空港から家まで護衛するべく待機していた大統領警護隊は、人々を武器で威嚇した。空港の周囲に沿って配置されていたベルギーの平和維持部隊の要員20名は大統領警護隊に包囲され、一部は武装解除された。空港は閉鎖され、上空で旋回待機していたベルギーのハーキュリーズはナイロビにダイバートされた。 カノンベ駐屯地では、墜落直後に軍隊ラッパが鳴り響き、これは「ルワンダ愛国戦線が基地を攻撃してきた」という意味に捉えられた。兵士達は各隊の武器庫に殺到し武装した。空挺コマンド旅団(CRAP(en))に所属する兵士は午後9時頃に閲兵場に集結し、他部隊も基地内の各所に集結した。少なくとも1人の目撃者は、墜落から1時間ほど後にカノンベで銃声が聞こえたと述べている。当初は、飛行機ではなく空港近くのカノンベ駐屯地の軍需物資が爆発したとの報告も流れた。 キガリ地区の担当士官は国防省に一報を入れた。オーギュスタン・ビジマナ国防相(en)は国外に滞在しており、報せを受けた士官は国防省の官房長テオネスト・バゴソラ(en)大佐と連絡を取れなかった。バゴソラ大佐はUNAMIRのバングラデシュ人士官らが主催する親睦会に出席していた。 墜落の報せは、当初はカノンベ駐屯地の弾薬集積所が爆発したとして、UNAMIRの軍事部門総司令官であるダレールに急報された。彼はUNAMIRのキガリ地区司令官リュック・マルシャルに命じて墜落現場に偵察班を送らせた。アガート・ウィリンジイマナ首相や穏健派政党 Parti liberal du Rwanda の党首ランド・ンダシンワ(en)をはじめ、数多の人々がUNAMIRに情報を求めて電話し始めた。ウィリンジイマナ首相がダレール総司令官に伝えたところでは、彼女は閣僚を招集しようとしたが、多くの者が家族を置いて出て来ることを恐れていたという。彼女はまた強硬派閣僚が全員行方不明になったと報告した。ダレール総司令官は首相に墜落機が確かに大統領機だったか確認できるか尋ね、ついでUNAMIRの政治部門代表であるジャック=ロジェ・ブー=ブー(en)に事態を連絡した。その後ウィリンジイマナ首相が電話を掛け直してきて、墜落機が確かに大統領機であり、大統領が搭乗していた筈であることを伝えた。同時に彼女はUNAMIRに対して政治状況を制御下に取り戻すための助力を求めた。大統領職務の代行順位として彼女は法律上筆頭にあったが、彼女と同盟関係にある穏健派閣僚の一部は身の危険を感じて居宅から逃亡し始めていたためである。 午後9時18分、UNAMIRの表現では「過敏で危険な」状態にある大統領警護隊がメリジアン・ホテルの付近の道路を封鎖した。襲撃の前からハビャリマナ大統領の到着に備えた治安措置として他にも何箇所かが道路封鎖されていた。墜落現場を調べるために派遣されていたUNAMIRのベルギー兵から成る偵察班は、大統領警護隊による道路封鎖箇所で午後9時35分に制止され、武装解除された上で空港に送られた。 カノンベ駐屯地の兵士達は、墜落後の軍隊ラッパをRPFが駐屯地を攻撃してきたものと捉え、武装しに走った。各隊は午後9時頃に集結を終えた。その中の一隊だった空挺コマンド旅団(CRAP)は、墜落現場から遺体を回収するよう命じられた。国連平和維持軍は墜落現場への立ち入りを拒否された。その後、墜落現場に二名のフランス兵が現れ、ブラックボックスが発見され次第持ち帰りたい旨依頼した。ブラックボックスの所在は後に不明となった。フランス軍はダレールに対し、墜落事件について調査することを申し出て来たが、ダレールは即座に断った。 墜落から40分ほど後に軍司令部に連絡したあるルワンダ軍大佐は、大統領が死亡したとの確報は未だないと伝えられた。その約30分後の午後9時30分頃になっても、軍司令部は依然状況を把握できていなかったが、大統領機が爆発したこと、恐らくミサイルが命中したということは明らかになった。ついで、参謀総長であるデオグラティアス・ンサビマナ少将も同機に乗っていたとの報せが届いた。居合わせた将校は統帥権を明確化するために後任者を定めなければならないことに気付き、急遽人選のため会議を開いた。そこに間も無くバゴソラ大佐が現れた。午後10時頃、ルワンダ政府のUNAMIR連絡官エフレム・ルワバリンダがダレール総司令官に電話し、危機管理委員会が間も無く開かれると伝えた。ダレール総司令官はニューヨークに居る上層部に連絡した後に危機管理委員会に出向き、バゴソラが議長となっていることを見出した。 後続した出来事について、別記事ルワンダ虐殺における初期の出来事を参照。
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