事件直前のフランスの情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 00:27 UTC 版)
「ブーランジェ将軍事件」の記事における「事件直前のフランスの情勢」の解説
普仏戦争の敗北によって課せられた賠償金及び一大鉱業地帯であるアルザス=ロレーヌ地方の喪失のために、フランスの国民感情はドイツに対する敵愾心が高まっていく傾向にあった。また、1882年に起こった金融恐慌のために、それまで上昇傾向であった景気が低迷し、工業生産はアメリカ・ドイツに抜かれて世界第4位に転落する有様であった。また、帝国主義による植民地支配は拡大し、外債によって対外投資が増大するという問題点もあったことに加えて、ドイツでは時の宰相であるビスマルクがフランスを孤立させる外交方針を展開していた(ビスマルク体制を参照)ことから、対独ナショナリズムの高揚と強い政府を求める声が主張されていた。 しかしながら当時の多党連立政権は明確な対策を打ち出すことができず、与党に対抗すべき社会主義政党も離合集散を繰り返しており広範の支持を得ることはできていない状況であった。一方王党派はブルボン朝支持派とオルレアン朝支持派の間に対立があり、こちらもまとまりを欠いていた。
※この「事件直前のフランスの情勢」の解説は、「ブーランジェ将軍事件」の解説の一部です。
「事件直前のフランスの情勢」を含む「ブーランジェ将軍事件」の記事については、「ブーランジェ将軍事件」の概要を参照ください。
- 事件直前のフランスの情勢のページへのリンク