乗員配置・車体設計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:03 UTC 版)
本車の最大の特徴は、乗員を5名とし、かつそれぞれの乗員をほぼ専業制(通信・前方機銃手を除く)にしたことで、単砲塔の通常型戦車としては世界初であった。 砲塔を持つ戦車の基礎となったルノー FT-17 軽戦車(1917年・フランス)は車体が小型であったうえに小型砲塔を採用しているため、乗員が2名となっており、車長が複数の役割を担っていた。その後の戦車の基礎となったヴィッカース 6トン戦車(1928年・イギリス)の乗員は3名であったが、いずれにしても複業する乗員が存在し、少人数の乗員は戦闘に悪影響かつ不利な要因となっていた(多砲塔戦車のような大型戦車を除く)。その後、戦車の乗員は3名もしくは4名が一般的になり、ドイツ戦車も例に漏れずI号戦車の乗員は2名、II号戦車は3名で、III号戦車において初めて5名乗員を明確に指向した。 乗員配置については、進行方向に対し前方左側車体内に操縦手、その右側に通信兼前方機銃手をそれぞれ置き、砲塔には戦車長、砲手、装填手を置いた。乗員を従来より増やせたのは、1人乗りか2人乗りの小型砲塔が主流だった時代において3人乗りの大型砲塔を採用し、車幅・砲塔リングの拡大を含めて車内体積が増えたからで、このような設計としたのは専業制を実現するためである。これにより役割が明確化・細分化され乗員の負担が少なくなり、仕事効率及びチームとしての戦闘力が向上した。特に戦車長は指揮と周辺警戒に専念できるようになったので、戦車同士の対決に際して有利になった。ただし、砲塔バスケットは採用されておらず、装填手は砲塔の回転に合わせて自分で動かなくてはならなかった。また、III号戦車の砲塔は、手動機構(旋回ハンドル)による人力旋回方式であった。 また当時、送信可能な無線装置は指揮戦車のみに搭載することが多く、それ以外の戦車はお互い目視による連携を取っており、この際ハッチを解放しない場合、外部を視察するためのスリット、クラッペ、バイザー等の開口部が防御上の弱点となるため小さく、視野は極めて限られたものとなるため、戦闘において支障を来たした。これを解決すべく送受信可能な無線装置が本車から標準化され、前方機銃手に通信手を兼ねさせた。無線機での相互連絡により効率的な連携を取ることができるようになり、それを持たない相手に対して優位に立つ事を可能とした。 さらに、戦車長が指揮に専念できることは極めて重要だが、コマンダーズ・キューポラによる360°視界の確保、タコホーン(咽頭マイク式車内電話)による乗員間意思疎通の明確化、無線装置による指揮通信系統の確立等、そのための装備が充実していたことは特筆すべきであろう。これにより個々の戦車のみならず部隊としても統率がなされていた。戦車長による円滑な指揮を実現するという設計思想は戦車史上初であり、本車が特に対戦車戦闘を重視していたことが伺える。 これこそが電撃戦を支え、機甲師団という新基軸を有効なものとし、ドイツ快進撃の秘訣となり、火力装甲ともに優れるT-34などの戦車と遭遇しても対抗することが可能な下地となったのである。
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