視界(正確な照準)の確保
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 08:52 UTC 版)
人工的な光源が松明などに限られていた古来に比べ、サーチライト(探照灯)や照明弾が発明されると夜間戦闘の機会が増え始めた。日露戦争では、ロシア帝国軍は沿岸砲台に備えたサーチライトにて日本海軍を効果的に撃退している(旅順港閉塞作戦)。それでも、暗闇の中で敵を正確に狙うことは容易ではなく、ロシア帝国海軍とオスマン帝国海軍の遭遇戦となったトゥアプセ沖夜戦では、双方とも有効な艦砲射撃はできていない。さらに、第二次世界大戦でレーダーや暗視装置が実用化されると、さらに夜間の作戦行動が容易となった。 陸上自衛隊の74式戦車はアクティブ型赤外線暗視装置を、90式戦車はパッシブ式熱線画像装置を搭載し、夜戦での射撃能力を高めている。 第二次世界大戦期には夜戦に特化した戦闘機として夜間戦闘機も多数運用されていたが、レーダーの発達と普及により、現在では昼夜を問わずに戦闘機を運用できるようになったため夜間戦闘機の区分は消滅している。なお、必ずしも夜戦自体は夜間戦闘機・夜戦飛行部隊専任のものではなく、例として日本陸軍(日本陸軍航空部隊)では一般の単座戦闘機にも夜戦のスキルが求められており(操縦者は夜間飛行をこなせてこそ一人前たる「技量甲」の認定を戴く)、実際にも1941年12月時点で敵爆撃機を夜戦確実撃墜した戦果を記録するなど数々の夜間任務を行っている。一方、日本海軍(日本海軍航空隊)では大半の単座戦闘機およびその操縦員には夜戦の技量が無く、また夜間任務自体が例外的なものであり、専用の夜間戦闘機が夜戦に対処していた。
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