之江新軍その後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/10 19:33 UTC 版)
反響が大きかったがゆえ記述したような現象も起きたなか、浙江省に縁故がある政治関係者を新たな之江新軍の一員とすることも進んだ。それが、慎海雄、董雲虎、劉奇、徐令義、胡和平、龔正、施克輝、陳一新、鍾山、孟慶豊である。1998年から2012年まで新華社の浙江上海の両分社に在籍で記者だった1967年4月生まれの慎海雄。2012年には新華社の副総編集長、2014年には新華社の副社長、2015年には広東省の党常務委員兼宣伝部長。ついたあだ名が「習の専用記者」。董雲虎は慎氏と同時の年8月6日同日に異動が発布されたので注目された。籍貫出生ともに浙江省、卒業したのが杭州大学(現:浙江大学)という出自・学歴。中央党校→党対外宣伝弁公室という党中央での勤務が2011年チベット自治区の、2015年上海市の党常務委員会委員・宣伝部部長と地方へと移っている。浙江省での官員の経歴はない。東京大学留学と日本企業勤務の経験のある胡和平は、その1995年96年の両年を除き、1980年入学・86年の卒業から2013年の浙江省の党常務委員・組織部長就任までの間、ずっと清華大学一筋である。修士課程、大学教員、共青団、校務、校内党組織などで経験・実績を重ね、清華大学の党委員会の書記、副校長に至っている。ちなみに習氏の工農兵学生での在学期間は75年から79年。博士課程が福建省時期の98年から2002年である。ある研究者は清華大学系人脈としている。その後2015年には陝西省に専職副書記で入り翌年には省長に任命されている。龔正は中華人民共和国の税関である中華人民共和国海関総署の出身で、習の浙江省在任期間に相当する時期は深圳海関関長や海関総署副署長を務めている。習氏とすれ違いの2008年から2015年までの間の浙江省の党委員会常務委員や副省長や杭州市党委員会党書記など歴任その後2015年8月からは山東省に移って、副書記、党校校長を務めている。徐令義は2008年にすでに党浙江省委員会秘書長、省政府の信訪局局長から国家信訪局副局長に異動していたためか見落とされていた。1978年の中学教師から永年浙江省一筋の典型的な地方官員だ。2005年着任で2008年中央へ栄転。さらに2014年2月には中央精神文明建設指導委員会弁公室の専職副主任に転任していることが明らかになる。驚くことに2015年3月末には 中央紀律検査委員会にいつ移ったのか時期不明だが中央弁公庁駐在の紀検組組長に任命されている。もう一人は施克輝だ。2015年7月の王岐山書記の陝西省への「調研」(視察)の折の座談会を放映したテレビに映ったことが切っ掛けで「神秘人物」と話題に上った人物で、調べてみたら浙江省の党委副秘書長(正庁長級)を務めていたのが分かったという次第。さらに調べてみたら、中央紀律検査委員会の中央第一巡視組副組長であると判明。5月の浙江省調研でも座談会のテレビに見切れてたことも分かったという。他に埋もれている人材があるやもしれない。
※この「之江新軍その後」の解説は、「之江新軍」の解説の一部です。
「之江新軍その後」を含む「之江新軍」の記事については、「之江新軍」の概要を参照ください。
- 之江新軍その後のページへのリンク