上方食文化における昆布
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:15 UTC 版)
乾燥させた昆布を湿気の多い大阪で倉庫に寝かせておくと、熟成することで昆布の渋みが無くなり甘みが出てくる。大阪に昆布が広まったのは商用船が日本海航路(北前船)を通って下関経由で大阪に運ばれるようになってからである。安土桃山時代に農・乾物の一大集積地であった大阪は多湿な気候が乾物や昆布の旨味を熟成させ、江戸時代にはこれらは大阪の味ともされた。 大阪の農産物と交換に蝦夷から運ばれた乾物は、昆布の他に、帆立貝、棒だら、身欠きにしんなどがある。主に商用船は太平洋側を避けて日本海航路で運ばれるようになったことから、大阪より敦賀や小浜で昆布の消費が多い傾向が見られる。 また刃物の街である堺の職人により、乾燥昆布を甘酢に浸し表面を削った「おぼろ昆布」が生まれた。昆布表面の黒い部分は甘酢がよく染みていることから、酸味が多い黒い「おぼろ昆布」(黒おぼろ)になる。中でも表面を薄く削ってゆくと、内側の白い部分が出てくる。ここは酢に浸っておらず、昆布本来の甘みがある。この昆布は「太白おぼろ」と呼ばれる。最後に残った昆布の芯の部分はばってら寿司や押し寿司に使われるばってら昆布(白板昆布)になる。薄く削るには職人による高等技術が必要とされる。 上記の堺でも「おぼろ昆布」が発達し、また北前船の集積地でもある敦賀でも「おぼろ昆布」技術が発達した。おぼろを削ったヘタの部分は爪昆布と呼ばれ、お菓子として食べられることがある。また、爪昆布は煮込むとコンブ特有の粘りが強く出ることから、煮物などの調理の際に煮汁と共に入れ、その粘りを利用して表面に浮いた灰汁取りを容易にするといった使い方もなされた。その他昆布の加工品と言えば、塩昆布(日高昆布)が連想されるが、戦国時代の出陣の際、勝ち栗や喜ぶなどの縁起を担いだ出陣式に醤油で炊かれた塩昆布は、細目昆布を醤油で煮込んだ物であった思われる。 醤油で炊かれた塩昆布を火鉢の網の上に並べて乾燥させては醤油に漬け、網の上で3回乾燥させた物を「汐吹き昆布」と言い昭和20年代に初めて作り出され商品化された。粉が表面に吹いているように見えるが、これは昆布の旨味成分が結晶化した物である。しかし現在では、イノシン酸や昆布のグルタミン成分などの調味料をまぶす場合もある。
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