上方長歌とは? わかりやすく解説

上方長歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 17:33 UTC 版)

長唄」の記事における「上方長歌」の解説

上方長歌(上方長唄とも)は、地歌楽式、曲種の一つ江戸時代中期以降上方中心に行われている長編三味線伴奏とする三味線歌曲。地歌箏曲胡弓との不可分な結びつきにより、三曲合奏編成により演じられることも多い。地歌のみならず三味線音楽のもっとも古い形式である三味線組歌に次ぐものとして、長い歴史有している。 もともと元禄の頃に江戸浅利検校佐山検校らによって作られ始めた組歌は、基本的に互いに脈絡のないいくつかの短い歌の組み合わせによって成り立っている。それに対し長歌終始一貫して筋を通した内容であり、それを最大特徴とする。また、曲の途中で三味線調弦変えること、かなりまとまった間の手を持つことなどが特徴であるが、長歌範疇含められる曲は各流派地域により多少違いがある。 その内容はさまざまだが、名所器物植物などの名を連ねた尽し」や、劇的な内容を持つものもあり、詞章雅文調ではあるが、部分的にくだけた文句挿入されている曲も多い。 本来、地歌盲人音楽家による純音楽で、劇場舞踊とは比較的関係の薄いものであるが、虎沢検校浄瑠璃始めたこともあるように、決して関係がないわけではなく地歌長歌でも、元禄年間活躍した京都岸野次朗三は晴眼者京阪歌舞伎三味線方として活躍した人物であり、彼の作品多く歌舞伎舞踊伴奏用に作られたものであるこのような長歌から、舞台音楽の「江戸長唄」が分かれた考えられている。 こののち野川流の祖である大阪野川検校作品がおおいにもてはやされ検校小野村検校らも長歌物作曲行い、さらに京流手事物作曲有名な京都松浦検校菊岡検校らによっても長歌曲が作られている。 また長歌からは、歌より手事重きを置く楽曲形式である「手事物」が生まれ現在の地歌主要な演目となっている。また手事物はのちに長唄にも影響与え、「越後獅子」「秋色種」「吾妻八景」などの曲が生まれている。

※この「上方長歌」の解説は、「長唄」の解説の一部です。
「上方長歌」を含む「長唄」の記事については、「長唄」の概要を参照ください。

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