三輪トラック生産の開始とは? わかりやすく解説

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三輪トラック生産の開始

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:23 UTC 版)

マツダ」の記事における「三輪トラック生産の開始」の解説

東洋工業は軍工廠下請けという形で機械事業へと進出したが、軍からの注文少量品種な上に繁閑差が大きいため、量産によるコスト低減を図ることが難しいという悩みがあった。独自の製品持ちたい考えた松田重次郎は、最終的な目標自動車製造に置きながらもまずはオートバイから手をつけることにし、1929年昭和4年)から試作始め1930年昭和5年)に30台と少数ながら市販した1930年昭和5年)には三輪トラック開発着手オートバイから一足飛び四輪自動車製造に向かうのではなく、まずは当時人気呼んでいた三輪トラック実績を積もうという狙いがあった。また、広島市吉島町工場手狭になっていたため、現在の本社所在地である広島県安芸郡府中村(現・府中町)の土地取得松田重次郎長男松田恒次(後に3代目社長)がレイアウト担当し三輪トラック中心に設計され新工場完成したコルク製品機械工業事業中心だった東洋工業にとって三輪トラック市場への進出未知数だったため、野口斡旋により、東洋工業生産する三輪トラック三菱商事一手販売とする契約結んだ(そのためタンクマークには、三菱スリーダイヤ入っている。その頃乗用車バス〈現三菱ふそう〉を製造していた三菱造船〈現三菱自動車〉は関係していない)。 1931年昭和6年10月府中新工場三輪トラックマツダDA型の生産開始軍需景気需要増加していたところにそれまで三輪トラックにはない後退ギアや、カーブスムーズに曲がれるよう後輪ディファレンシャルギア装備したDA型は、三菱商事全国的な販売網相まって好評博した改良型DB型を発売した1932年昭和7年)には国内シェア25%獲得売上は急拡大遂げマツダ号は海外へ輸出された。 1935年昭和10年10月朝鮮半島大規模な水力発電所いくつも建設していた野口からの依頼受けて開発した削岩機を初納入し、またこの年には1929年昭和4年)から社内向けに製造していた工作機械外販始めた1936年昭和11年)には三菱商事との販売契約解消しオート三輪東洋工業直売制に移行したこの頃には三輪トラック次なる商品として、四輪自動車検討始めた1936年昭和11年)の重役会で小型四輪自動車製造決議されイギリスオースチン・7購入して研究開始。さらにドイツ車オペル37年式やイギリスのMG37年式購入し最新プレス機はじめとする各種設備アメリカから買い入れた1940年昭和15年)には小型四輪自動車試作車完成させ、生産体制整備されつつあったが、この頃すでに東洋工業軍事体制組み込まれていたため、自動車の生産実現不可能になっていた。

※この「三輪トラック生産の開始」の解説は、「マツダ」の解説の一部です。
「三輪トラック生産の開始」を含む「マツダ」の記事については、「マツダ」の概要を参照ください。

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