三河水力電気の展開
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「中央電力 (1938-1942)」の記事における「三河水力電気の展開」の解説
中央電力の前身の一つである南信電気株式会社は、三河水力電気に先駆けて1920年(大正9年)4月28日に設立された。設立にあたったのは長野県下伊那郡の7か村、千代村(現飯田市)、泰阜村、下條村、富草村・大下条村(現阿南町)、平岡村(現天龍村)、豊村(現売木村・阿南町)の関係者および住民で、各村住民計3168人から出資を集めた。資本金は100万円で、本社は竜丘村時又(現・飯田市時又)に設置。初代社長には泰阜村長の吉沢亀弥が就任した。 長野県南部の伊那地方では、現在のJR飯田線北部を建設した伊那電気鉄道が電力会社としても勢力を広げ、飯田町(現・飯田市)などで電気の供給にあたっていた。しかし天竜川沿い地域では下伊那郡竜江村・下川路村が供給区域の南端であった。同社の事業に触発され、区域外の下伊那郡南部地域では明治末期ごろから天竜川支流の米川に発電所を設ける「米川水力電気」と阿知川に発電所を設ける「下條水力電気」の起業計画が起こった。1916年(大正5年)になり、両計画が合流し「南信電気」を設立することとなり、事業経営許可の出願がなされた。伊那電気鉄道と出願地域が競合したこともあり、事業許可は4年後の1920年1月7日付となった。当初の供給区域は上記の7村。また南信電気と同時に下伊那郡では三穂村の村営電気事業と和田村の和田水力電気、旦開村(あさげむら)の旦開水力電気も事業許可を得ている。これらの地域も元は南信電気に参加する予定であった。 会社設立に至った南信電気では、1921年(大正10年)3月より阿知川の下條村側にて発電所工事に着手。この工事中の1922年(大正11年)4月14日、伊那電気鉄道より受電中の工事用電力を一部割いて供給を始めて開業に至る。その後阿知川発電所が同年12月23日より出力350キロワットで運転を開始した。発電所竣工後は供給力に余裕が生じたため、1924年(大正13年)より供給区域を南へ広げ、神原村(現・天龍村)と県境を越えた愛知県北設楽郡富山村(現・豊根村)での供給を開始した。供給区域にはその後1929年(昭和4年)12月に下伊那郡南和田村字万古(現・飯田市南信濃南和田)が追加されている。電源面では、伊那電気鉄道との間で550キロワットを売電する契約が交わされたことから、1926年(大正15年)11月に阿知川発電所が増設され出力が800キロワットに引き上げられた。 中央電力設立直前、1938年3月末時点における供給成績は電灯需要家4851戸・取付灯数1万5382灯、電力需要家58戸・取付電力装置容量392キロワット、他の電気事業者に対する供給420キロワット(竜丘電気利用組合20キロワット・伊那電気鉄道400キロワット)であった。また1937年12月末時点における電灯・電力供給区域は以下の10村であった。 南信電気の供給区域一覧長野県下伊那郡千代村・南和田村(一部)(現・飯田市)、泰阜村、下條村、富草村・大下条村(現・阿南町)、豊村(現・阿南町・売木村)、平岡村・神原村(一部)(現・天龍村) 愛知県北設楽郡富山村(現・豊根村)
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