三河水力電気の展開とは? わかりやすく解説

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三河水力電気の展開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 15:57 UTC 版)

中央電力 (1938-1942)」の記事における「三河水力電気の展開」の解説

中央電力前身一つである南信電気株式会社は、三河水力電気先駆けて1920年大正9年4月28日設立された。設立あたったのは長野県下伊那郡の7か千代村(現飯田市)、泰阜村下條村富草村大下条村(現阿南町)、平岡村(現天龍村)、豊村(現売木村阿南町)の関係者および住民で、各村住民計3168人から出資集めた資本金100万円で、本社竜丘村時又(現・飯田市時又)に設置初代社長には泰阜村長の吉沢亀弥が就任した長野県南部伊那地方では、現在のJR飯田線北部建設した伊那電気鉄道電力会社としても勢力広げ飯田町(現・飯田市)などで電気供給にあたっていた。しかし天竜川沿い地域では下伊那郡竜江村下川路村供給区域南端であった同社事業触発され区域外の下伊那郡南部地域では明治末期ごろから天竜川支流米川発電所設ける「米川水力電気」と阿知川発電所設ける「下條水力電気」の起業計画起こった1916年大正5年)になり、両計画合流し南信電気」を設立することとなり、事業経営許可出願なされた伊那電気鉄道出願地域競合したこともあり、事業許可4年後の1920年1月7日となった当初供給区域上記の7。また南信電気同時に下伊那郡では三穂村村営電気事業和田村和田水力電気旦開村(あさげむら)の旦開水力電気事業許可得ている。これらの地域も元は南信電気参加する予定であった会社設立至った南信電気では、1921年大正10年3月より阿知川下條村側にて発電所工事着手。この工事中1922年大正11年4月14日伊那電気鉄道より受電中の工事電力一部割いて供給始めて開業に至る。その後阿知川発電所同年12月23日より出力350キロワットで運転を開始した発電所竣工後は供給力余裕生じたため、1924年大正13年)より供給区域南へ広げ神原村(現・天龍村)と県境越えた愛知県北設楽郡富山村(現・豊根村)での供給開始した供給区域にはその後1929年昭和4年12月下伊那郡南和田村万古(現・飯田市南信濃南和田)が追加されている。電源面では、伊那電気鉄道との間で550キロワット売電する契約交わされたことから、1926年大正15年11月阿知川発電所増設され出力800キロワット引き上げられた。 中央電力設立直前1938年3月時点における供給成績電灯需要家4851戸・取付灯数1万5382灯、電力需要58戸・取付電力装置容量392キロワット、他の電気事業者対す供給420キロワット(竜丘電気利用組合20キロワット伊那電気鉄道400キロワットであった。また1937年12月時点における電灯・電力供給区域は以下の10であった南信電気供給区域一覧長野県下伊那郡千代村南和田村一部)(現・飯田市)、泰阜村下條村富草村大下条村(現・阿南町)、豊村(現・阿南町売木村)、平岡村神原村一部)(現・天龍村愛知県北設楽郡富山村(現・豊根村

※この「三河水力電気の展開」の解説は、「中央電力 (1938-1942)」の解説の一部です。
「三河水力電気の展開」を含む「中央電力 (1938-1942)」の記事については、「中央電力 (1938-1942)」の概要を参照ください。

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