三河水力電気への合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 12:38 UTC 版)
遠三電気・渋川電灯所の統合で東三電気は静岡県側にも供給区域を広げ(下記#供給区域一覧参照)、1928年(昭和3年)1月末時点では電灯取付数3万25灯(需要家数1万1426戸)、電力供給280.33馬力(209キロワット)を数えた。電灯は10燭灯の利用が3分の2を占めて最多、一方の電力利用は3分の2近くを精米用途が占めた。このように事業規模を拡大した東三電気であったが、両事業の統合から1年余りで東三電気自身が三河水力電気(後の中央電力)に吸収されて解散に至った。 この三河水力電気も東邦電力傘下の会社であるが、1924年(大正13年)の会社設立時からすでに傍系会社であった点が東三電気とは異なる。本来は発電専業の会社で、当時愛知県中部を流れる矢作川に越戸発電所を建設中であった。この越戸発電所の完成に先駆け、三河水力電気は東三電気を合併し供給区域を引き継いで一般電気供給事業者となったのである。合併手続は1928年2月28日両社株主総会での合併決議、同年5月30日逓信省の合併認可と進み、同年7月23日三河水力電気にて合併報告総会が開かれて合併手続きが完了、同日東三電気は解散した。 三河水力電気との合併直前における東三電気の主要経営陣は、社長牧野文斎・常務牧野熊太郎(牧野文斎の実弟)・代表取締役桜木亮三(1927年8月就任)であった。このうち牧野文斎は合併報告総会にて三河水力電気の取締役に選出されている。また合併後、三河水力電気は東三電気から引き継いだ事業を所管する新城営業所を、旧東三電気本社があった東郷村から移して新城町内(字町並)に構えた。
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