遠三電気
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東三電気が買収した2社のうち遠三電気株式会社は1915年(大正4年)10月15日、静岡県磐田郡浦川村浦川(現・浜松市天竜区佐久間町浦川)にて資本金3万円で設立された。代表者は渋川郵便局長を務める大石勝太郎。開業は翌1916年7月11日で、当初の供給区域は磐田郡浦川村・佐久間村・山香村(現・浜松市)と東三電気区域の外縁にあたる愛知県八名郡八名村・舟着村・山吉田村ならびに南設楽郡長篠村(いずれも現・新城市)であった。 開業当初の段階では自社発電所は未完成であり、電源は東三電気からの受電に限られていたが、1918年4月山香村の鳴瀬沢川(天竜川水系)に、次いで1920年12月浦川村の河内川(同)に相次いで水力発電所を完成させた。前者は出力37キロワット、後者は50キロワットといずれも小規模。静岡県側では両発電所を、愛知県側では東三電気からの受電をそれぞれ電源として営業する。初期の大口需要家には静岡県側の竜頭山で操業する高田鉱業大月鉱山があり、愛知県北設楽郡本郷町(現・東栄町)などに供給する本郷電気製材(1918年12月開業)にも静岡県側の浦川方面から送電していた。経営面では1918年10月3万円、1919年10月12万円の増資をそれぞれ決議している。 1922年(大正11年)5月、愛知県側の一部区域について早川電力(後の東京電力)からの受電に変更。次いで1926年(大正15年)2月、東邦電力から20キロワットの受電を開始した。1926年5月時点での受電高は東三電気分が37キロワット、東京電力分が50キロワット、東邦電力分が20キロワット、大野電気分が2.5キロワットであり、発電力とあわせて供給力は計196.5キロワットとなっている。一方の供給成績は1925年9月末時点で電灯取付数7383灯(休灯含む、需要家数3069戸)、電力供給1キロワットであった。電力供給がほとんどないのは大月鉱山が不況で閉山となったことによる。そのため遠三電気では電力料収入が途絶えて経営が悪化し、無配に転落。経営悪化の末に東三電気に統合される道を選び、1926年10月6日付で解散した。 統合時の資本金は18万円。また前年の1925年(大正14年)3月17日付で浦川村から愛知県側の舟着村大字乗本(現・新城市乗本)へと本店を移転していた。
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