大野電気移行後
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1919年時点の八名郡内では、豊橋電気の事業を一部譲り受けて開業した東三電気が南部を、静岡県側に本社を置く遠三電気が中部を供給区域とするようになっていた。残る郡北端の七郷村(現・新城市)は、北隣の北設楽郡三輪村(現・新城市および東栄町三輪)とともに「三輪電気株式会社」の供給区域に入った。同社は1919年10月5日付で大野町字山伏通62番地に資本金10万円で設立。大橋正太郎(大野町の農家・資産家、大野銀行頭取)が代表を務める。新設の三輪電気は1919年12月に大野製材合資会社の電気事業を譲り受け、翌1920年(大正9年)6月25日付で「大野電気株式会社」へと改称した。 1920年12月、大野電気は葭ケ滝発電所の運転を開始した。これに伴い製材工場併設の旧発電所は廃止されている。新発電所は宇連川右岸、南設楽郡長篠村(現・新城市)の柿平駅近くに位置し、宇連川から取水して28キロワットを発電する。周辺の長篠村柿平・槙原地区は遠三電気の供給区域であるが、大野電気からの受電により供給された。隣接する三輪村内では大野電気直営で1921年(大正10年)から供給が開始される。一方七郷村では工事費用負担をめぐって村との合意に至らず、村では「七郷電気利用組合」という産業組合を組織して自家用水力発電所を建設し独自に供給したため、大野電気による供給は行われなかった。 1924年(大正13年)1月、矢作川水系での電源開発を手掛ける矢作水力が南設楽郡鳳来寺村大字玖老勢(現・新城市玖老勢)に鳳来寺変電所を建設した。当初は大野電気に対する電力供給専用の変電所であり、大野電気には30キロワットの電力が送電された。矢作水力からの受電開始によって葭ヶ滝発電所とあわせ大野電気の供給電力は計58キロワットとなった。以後供給力の変動はない。 1930年代後半に入ると、1939年(昭和14年)の日本発送電設立に至る電力国家管理の流れの中で小規模事業者の整理・統合が国策と定められたのを機に、全国的に事業統合が活発化した。愛知・静岡・長野の3県にまたがる三遠南信地域では、東三電気の事業を引き継いでいた三河水力電気(東邦電力傘下)が中央電力へと発展、事業統合の中核となる。大野電気も事業統合の対象とされ、1939年4月、中央電力がその事業を譲り受けた。なお逓信省からの事業譲受認可は同年3月20日付である。登記によると大野電気は1939年3月31日付で解散した。
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