大野電気移行後とは? わかりやすく解説

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大野電気移行後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:12 UTC 版)

大野電気」の記事における「大野電気移行後」の解説

1919年時点八名郡内では、豊橋電気事業一部譲り受け開業した東三電気南部を、静岡県側本社を置く遠三電気中部供給区域とするようになっていた。残る郡北端七郷村(現・新城市)は、北隣の北設楽郡三輪村(現・新城市および東栄町三輪とともに三輪電気株式会社」の供給区域入った同社1919年10月5日付で大野町山伏62番地資本金10万円で設立大橋正太郎大野町農家資産家大野銀行頭取)が代表を務める。新設三輪電気1919年12月大野製材合資会社電気事業譲り受け、翌1920年大正9年6月25日付で「大野電気株式会社」へと改称した1920年12月大野電気は葭ケ滝発電所の運転を開始したこれに伴い製材工併設旧発電所廃止されている。新発電所は宇連川右岸南設楽郡長篠村(現・新城市)の柿平駅近く位置し宇連川から取水して28キロワット発電する周辺長篠村柿平槙原地区遠三電気供給区域であるが、大野電気からの受電により供給された。隣接する三輪村内では大野電気直営1921年大正10年)から供給開始される一方七郷村では工事費負担めぐってとの合意至らずでは「七郷電気利用組合」という産業組合組織して自家用水力発電所建設し独自に供給したため、大野電気による供給行われなかった。 1924年大正13年1月矢作川水系での電源開発手掛ける矢作水力南設楽郡鳳来寺村大字玖老勢(現・新城市玖老勢)に鳳来寺変電所建設した当初大野電気対す電力供給専用変電所であり、大野電気には30キロワット電力送電された。矢作水力からの受電開始によって葭ヶ滝発電所とあわせ大野電気供給電力は計58キロワットとなった以後供給力変動はない。 1930年代後半に入ると、1939年昭和14年)の日本発送電設立に至る電力国家管理流れの中で小規模事業者の整理統合国策定められたのを機に全国的に事業統合活発化した。愛知静岡長野の3県にまたがる三遠南信地域では、東三電気事業引き継いでいた三河水力電気東邦電力傘下)が中央電力へと発展事業統合中核となる。大野電気事業統合対象とされ、1939年4月中央電力その事業を譲り受けた。なお逓信省からの事業譲受認可同年3月20日付である。登記によると大野電気1939年3月31日付で解散した

※この「大野電気移行後」の解説は、「大野電気」の解説の一部です。
「大野電気移行後」を含む「大野電気」の記事については、「大野電気」の概要を参照ください。

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