七池とは? わかりやすく解説

七池

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/23 14:07 UTC 版)

善光寺七名所」の記事における「七池」の解説

阿闍梨池(あじゃりいけ) 善光寺院坊本覚寺境内にある。法然上人の師、皇円阿闍梨弥勒菩薩来迎まで命を保つため静岡県桜ヶ池1169年嘉応元年入定したのち、1198年建久9年1月18日暴風雨とともにとなって阿闍梨池より現れ善光寺本堂3回めぐりもとに帰って行ったという伝説が伝わる。その為桜ヶ池地下水脈つながっていると言われている。 花池はないけ) 花ヶ池(はながいけ)、桜井さくらい)とも。善光寺院坊世尊院境内にある。善光寺本堂がこの付近にあった際、閼伽として如来前に供えたとされる。 無方池(なきかたいけ) 無方ヶ池(なきかたがいけ)、無刀ヶ池、長刀池(ながたちいけ)ともいう。西町西方寺の門の南側にある。 有方池(ありかたいけ) 有方ヶ池(ありかたがいけ)、牛池(うしいけ)ともいうがこれは誤りである。『善光寺伝記によれば、元は白山神社境内にあったものが、人家取り込まれたとするまた、「うちいけ」、「うかた井」の読み散見される。『善光寺御堂再建記』は東之門町とするが、大多数大門町にあると記述される前述の無方池のある西方寺住職によれば後述の上小路中央通側にある蕎麦屋藤木庵裏にある井戸だという。 来間池(くるまいけ) 車池、来魔池とも書く。桜枝町にあり、現在は防火用水使われている。来る間にが湧くのでこの名がついたという。当地の字、来間池の名の由来となっている。 ノ目池(つるのめいけ) の目池とも書く。靏ヶ目池(つるがめいけ)、ヶ目池ともいう。現在は西後町十念寺境内秋葉神社前にそれと伝えるものがあるが、単なる推測井桁組んだのである。元は西後町西側にあった一説には現在の西後町にあるNTT東日本長野支店後町ビル敷地内にあったとも言われている。『善光寺御堂再建記』には八幡川にそって東西二つあるとも書かれている裾花川現在の流路と異なり東に流れていたころ、溜まったの形に似ていたからだという。また、の目の位置にあたるところに池があったからだともいう。 ヶ池(きつねがいけ) 狐池(きつねいけ)、諏訪池(すわいけ)とも。狐池諏訪神社にある。当地の町、狐池の名の由来となっている。 鏡池かがみいけ鏡ヶ池かがみがいけ)、姿見池(すがたみいけ)ともいう。往生寺の裏山にあるといい、近年後述柳清水同一視されることもあるが、『西長野百年誌』に収録の『誌』(1877年明治10年))にはそれぞれ別物として記載がある。元禄年間1688年1704年)頃から竹地中埋め周辺各戸湧水供給していた。1933年昭和8年)に往生地簡易水道組合設置し鉄パイプでの供給切り替わったが、1966年昭和35年)に水道関連施設全般長野市移管組合解散した。現在は水利権往生地果樹組合防除組合所有し周辺果樹園灌水使用している。名の由来は、往生寺開基刈萱同心が池に姿を映した際、自身地蔵の姿に見えたため地蔵彫ったことにちなむという。 箱池(はこいけ) 西長野町西光寺にあるといい、後述夏目清水同一思われる

※この「七池」の解説は、「善光寺七名所」の解説の一部です。
「七池」を含む「善光寺七名所」の記事については、「善光寺七名所」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「七池」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「七池」の関連用語

七池のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



七池のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの善光寺七名所 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS