ヴィクトリア朝の潔癖さ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 23:27 UTC 版)
「ヴィクトリア朝の服飾」の記事における「ヴィクトリア朝の潔癖さ」の解説
男性の服装は形式ばっていて堅苦しく、女性の服装は手が込んでいて度を越していたと考えられている。洋服は全身を覆い、くるぶしが少しでも見えると恥ずべきことであった。批評家たちは、コルセットは女性の体や寿命を縮めると強く主張した。室内の装飾は陰鬱で暗く、重くて過剰に飾り立てられた家具や急増した骨董品で散らかっていると表現された。また、社会的通念として、ピアノの太い脚さえも恥ずべきものとされ、小さなズボンのようなカバーをかぶせるものであった。 もちろん、このうちの多くは正しくないか大いなる誇張がなされている。男性の正装はそれ以前と比べると色とりどりではなくなったかもしれないが、きらきらしたベストやカマーバンドによって少しの色を足したり、スモーキングジャケットやローブには東洋の錦がよく用いられていた。この現象は、織物の工業部門が発達し、大量生産の工程が発展し、男性たちの間で服飾で商売をしようという企てが高まった結果であった。 コルセットによって、細いウエストに対比して腰や胸を誇張することで、女性の性的な特徴が強調された。また、女性の正装用のドレスは肩や胸の上部の露出度が高かった。1880年代に登場したジャージーのドレスは体を覆っていたものの、伸縮性のある新しい素材は手袋のように体にぴったりとしていた。 家庭の家具は決して飾り立てられていたりやりすぎであったりするわけではなかった。しかしながら、贅沢な布や高い装飾を買う余裕があって自らの豊かさを見せつけたい人々はそうすることが多かった。ヴィクトリア朝が社会的流動性を増してから、豊かさを見せつけるような「にわか成金」が増えた。 装飾に用いられる物品は、単に実用性の問題で、現在使われているものより暗い色で重いものであった。ロンドンは騒がしく、空気は無数の石炭の炎によるすすに満ちていた。それゆえ、豊かな人々は重く騒音を遮るカーテンを窓にたらし、すぐにはすすがわからないような色を選んだ。すべてを手で洗っていた時代には、カーテンは現在のようには頻繁に洗われていなかった。 ピアノの太い脚が恥ずべきものとされていたという実際の証拠は存在しない。ピアノや机がよく何かを隠すためにショールや布で覆われていたとすれば、それは家具の安さであった。中流階級下層の家族が、マホガニー材の机を買う余裕がないことを見せないために松の机を隠したということへの言及もある。ピアノの話は、アメリカのこうるささへの風刺的な言及として、フレデリック・マリャット(Frederick Marryat)著の1839年出版の本、『アメリカ日記』(A Diary in America)に起因しているようである。 しかしながら、ヴィクトリア朝の礼儀は想像されているほど厳しくなかったかもしれない。少なくとも立派な中流、上流階級においては、公に性や出産またはそのようなことについて話す人はいなかった。しかしながら、よく知られているように、罪の多くは思慮分別でまかなわれており、売春も蔓延しており、上流階級の男女は不倫の密通にふけっていた。
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