ロンドン再訪と『Lanka Dahan』
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「ダーダーサーハバ・パールケー」の記事における「ロンドン再訪と『Lanka Dahan』」の解説
『Lanka Dahan』のガンパト・G・シンデ(ハヌマーン役) 『Lanka Dahan』のアンナ・サルンケー(シーター役) パールケーは3本の映画の成功により、製作のために作った借金を完済した。彼の製作した映画はインド国内の劇場興行主からフィルムの注文が殺到し、その反響を見たパールケーは3万ルピーの電子機器を購入し、1914年8月1日に映画3本を持ちロンドンに旅立った。ケプバーンはロンドンでのパールケー作品の上映を手配し、上映された作品は技術的に高い評価を得た。ヘプワースを始めとするイギリス人映画製作者はパールケーにイギリスでの映画製作を依頼した。ヘプワースはパールケーの再訪前にすでにインド映画の製作を企画しており、インド人スタッフ・キャストの渡英費用と滞在費、給与の支払いを申し出ており、さらにパールケーに月給300ポンドと映画の収益の20%を報酬として提示した。しかし、パールケーはヘプワースのオファーを断っている。また、ワーナー・ブラザースとの間で200枚のフィルム缶の売買契約を結ぶことになったが、正式な契約を結ぶ直前に自身の映画スタジオの深刻な問題を耳にしたため、急遽インドに戻ることになった。 インドに戻ったパールケーは、第一次世界大戦の影響で映画スタジオの財務状況が悪化している事実に直面した。投資家たちからは融資の停止とスタジオの閉鎖を要求されるが、彼はヤシュワントラオ・ナドカルニとアーバーサーハバ・チトニスにロンドンで購入した機器の輸入費用の融資を求めた。これに対し、2人は要求額の半分を提供することを約束した。一方、パールケーは第一次世界大戦による物資不足で十分な量のフィルムが確保できなくなり、短編映画の製作に方針を転換した。彼は映画スタジオを担保に融資を受け『Raja Shreeyal』の製作を開始したが、複数の理由により製作は中断された。パールケーは新たな映画を製作するため、資金を得るためにスワデーシー運動に参加した。また新聞への広告掲載やチラシの配布などの宣伝活動も行ったが、この宣伝に反応を示したのは3人だけだった。このうちの1人は「Dainik Sandesh」紙に投書し、パールケーが加入を希望していた全インド自治同盟(英語版)の指導者たちに協力を訴えた。指導者の1人であるバール・ガンガーダル・ティラクは訴えに応じてパールケーの映画製作を支援しようとしたが、途中で断念している。1916年から資金を集めるための巡業を始め、各地の藩王国で映画を上映した。アウンド藩王国(英語版)の藩王から1000ルピーの融資、インドール藩王国の王女から5000ルピーの融資と1500ルピーの上映料を提供された。 ボンベイからナーシクへの移転の途中で『ラジャ・ハリシュチャンドラ』のネガフィルムが消失したため、パールケーは「ほぼ同じ脚本、キャスト、その他全て」を用いて再撮影を行い、897メートルのフィルムを使用した『Satyavadi Raja Harishchandra』を製作し、1917年4月3日にプネーのアーリヤーン・シネマで公開された。同時に投資家向けに映画製作のプロセスを解説したドキュメンタリー映画『How Movies Are Made』を製作したが、投資の役には立たなかった。1917年5月にナーシクで開催されたボンベイ州協議会に出席し、そこでバール・ガンガーダル・ティラクがパールケーへの支援を呼びかけた。また、G・S・カーパルデー(英語版)の求めに応じて彼のスタジオを訪問している。 ティラクの呼びかけにより十分な資金を集めたパールケーは、『Lanka Dahan』の製作を開始した。映画は『ラーマーヤナ』に登場するランカー島を題材にしており、フィルム910メートル、3リールを使用した。同作は1917年9月17日にアーリヤーン・シネマで公開された。主人公ラーマとシーターはアンナ・サルンケーが2役演じており、彼はインド映画で初めて1人2役を演じた俳優とされている。ボンベイのウェストエンド・シネマでは10日間で3万2000ルピーの収益を上げた。映画史家アムリート・ガンガル(英語版)によると、劇場で集められた硬貨は麻袋に詰められて去勢牛の荷車で運び出されたという。同作の興行的な成功により、パールケーは借金を全額返済することができた。
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