ロンドン包囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 09:33 UTC 版)
「クヌート1世 (イングランド王)」の記事における「ロンドン包囲」の解説
クヌートは南下し、デーン軍はどうやら複数に分かれた。一部は、クヌートによるロンドン包囲完了前にロンドンを脱してイングランド王政の伝統的中心地であるウェセックスに軍を集めに行ったエドマンドに対処し、また一部は、ロンドンを包囲して北側と南側に堤防を築き、川上の連絡を断つためにテムズ川の土手にロングシップのための水路を市の南側に掘った。 サマセットのペンセルウッド(英語版)で行われた戦いは、セルウッドの森(英語版)にある丘がその場所とされており、その後にウィルトシャーのシェーストン(英語版)で行われた戦いは二日間に及んだが、エドマンド軍はどちらにも勝利することはできなかったとされている。 エドマンドはロンドンを一時的に救い、敵を追い払ってブレントフォードでテムズ川を渡った後に彼等を撃破した。大きな損失を被った彼は、新たな兵力を集めるためにウェセックスに退却し、デーン人は再びロンドンを包囲したがまたもや攻撃に失敗し、イングランド人の攻撃を受けてケントに後退し、オットフォード(英語版)で戦った。この時点でエアドリックはエドマンドのもとに渡り、クヌートはテムズ川河口を北上してエセックスに出帆し、上陸地からオーウェル川(英語版)を遡ってマーシアを荒らし回った。
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