ロシアファシスト党
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ロシアファシスト党(ロシアファシストとう、露: Российская фашистская партия、英: Russian Fascist Party)または汎ロシアファシスト党は、1931年から1945年の間満洲国に存在した、白系ロシア人によるファシズム政党。
- ^ 北欧の風雲狙い神戸に堅い握手 在日白系露人結成の使命 おびて来た白の巨星 神戸又新日報 1934年3月23日
- ^ 『国民思想善導教化及団体関係雑件 第一巻 8.露西亜ファシスト党日本代表出演ノ皇化連盟主催演説会状況関係』「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B04013004000、国民思想善導教化及団体関係雑件 第一巻(I-4-5-1-8_001)(外務省外交史料館)」
- ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B04012302800、各国展覧会関係雑件 第一巻(I-1-6-4-6_001)(外務省外交史料館)」 各国展覧会関係雑件 第一巻 40.全露ファシスト党主催反コミンテルン展覧会
- ^ Лейб-гвардии Преображенского полка» в исполнении Оркестра штаба Ленинградского военного округа
- ^ К. В. Родзаевский. Завещание Русского фашиста М., ФЭРИ-В, 2001
- 1 ロシアファシスト党とは
- 2 ロシアファシスト党の概要
- 3 沿革
- 4 脚注
ロシアファシスト党
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「コンスタンチン・ロジャエフスキー」の記事における「ロシアファシスト党」の解説
1931年5月26日にファシスト政党ロシアファシスト党の結成に参加し事務局長に就任した。1934年にはアナスターシー・ヴォンシャーツキー(英語版)のロシア民族労働党と合併し実質的な指導者に就任し、1936年に党首に選出された。ロジャエフスキーはベニート・ムッソリーニをモデルとし、党旗にはナチ党をモデルにした鉤十字を採用し、党章にはロシア帝国の双頭の鷲を使用した。また、自身の周囲を選抜した護衛で固め、黒シャツ隊をモデルに黒い制服を着用させた。ロジャエフスキーは党機関紙『私たちの道と国家』に反ユダヤ主義的主張を掲載し、著作『20世紀におけるユダヤ人問題』を著している。 1934年、ロジャエフスキーは満州国白系露人事務局の第二部長に任命された。また、関東軍の庇護を受け武器を提供され、ハルビンを拠点に反共運動を組織し、世界26か国に支部を設立した。ハルビンでは1万2,000人の党員を獲得し、満州里に鉤十字のネオンライトを設置しソ連に対して存在を誇示した。紀元二千六百年記念行事の際にはハルビンでの式典に参加した。ロジャエフスキーは関東軍の協力の下、白軍のウラジーミル・キスリーツィン(英語版)と共にロシアを「解放」することを望み、関東軍から撹乱工作の訓練を受けていた。
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