ユダヤ人イギリス入国請願運動
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「メナセ・ベン・イスラエル」の記事における「ユダヤ人イギリス入国請願運動」の解説
1644年, メナセはマラーノポルトガル人旅行家モンテジノス(Antonio de Montezinos)と知り合った。モンテジノスはアンデス先住民はイスラエルの失われた10支族の末裔であると考えていた。これを聞いたメナセは、世界に散らばるユダヤ人がいるということがメシア的希望につながると考え、イングランドで1290年に追放されたユダヤ人が再び居住するという計画にいたった。 メナセは1650年に『イスラエルの希望』(ヘブライ語Mikveh Israel、ラテン語Spes Israelis) をアムステルダムで刊行し、1652年ロンドンでジョン・ミルトンの友人で千年王国を信奉するモーゼス・ウォールによって英訳され、6ヶ国語に翻訳された。同書においてメナセは、終末の到来を確かならしめるためには、ユダヤ人の拡散を完全のものとして、世界の末端であるイングランド(アングル・ド・ラ・テール 地の角)をユダヤ人の植民地と化するべきだと主張した。背景には1648年のポーランドでのコサック反乱によるユダヤ人難民の存在があった。マナセは著書をイギリス議会に献呈し、ユダヤ人を迎え入れれば貿易が盛んになり繁栄すると力説した。 この本は1648年にモンテジノスの主張について問い合わせたJohn Duryの書簡への返信から執筆された。メナセはメシア思想を説明し、議会における彼の親族議員について強調して、イギリスの財政的増加よりもユダヤ人とイギリスの友好関係を重視していると応えた 1651年、メナセは同書をスウェーデン女王クリスティーナに献本し、同年円頂党弁護士オリバー・シンジョンと知り合い、イギリス・オランダの提携について話したところ、感銘をうけたシンジョンは正式にユダヤ人再定住を請願することを勧めた 1651年、メナセは自著の英訳をランプ議会と国務会議に献本した。新世界にイスラエルの失われた10支族の末裔がいるという主張は、イギリス世論で騒動となり、その後のイギリス文学にも影響を与えた。政治家Edward Spencerと訳者モーゼス・ウォールと学者間での議論では、ユダヤ人はキリスト教に改宗するかという点も議題となった メナセは「神は我々のもとを去りませんでした。迫害する者がいる一方で私達を礼儀正しく丁重に扱う者がいます。ある王が迫害しても、別の王が受け入れてくれます。イタリア王、デンマーク王、サヴォイア公国が栄えたのはイスラエル人を許可したからではないでしょうか?」と回答した
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