ユダヤ人・亡命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 01:03 UTC 版)
タウトは日本滞在中、ユダヤ人(あるいはユダヤ系ドイツ)であるからアドルフ・ヒトラー政権に迫害されて日本へ亡命したのだと盛んに噂されて、辟易していたらしい。実際はタウトはユダヤ人ではなく、13世紀から続くドイツ人の家系図があるのだと、噂を否定するコメントを建築雑誌『国際建築』に、日本滞在中に残している。弟のマックス・タウトが、兄がドイツを後にしてからもベルリンに住んでいたことも、タウトがユダヤ人ではないことを裏付けている。 また当時から、タウトが日本に亡命したと書く文章があふれているが、井上章一によると、それとは矛盾する事実が残されている。タウトの日記には、日本滞在中にドイツ大使館に出かけた(1936年10月12日)とか、日独協会から講演を依頼されてそれを引き受けたとか、亡命者とは考えられない行動をしている事実が書かれている。その他にも、1935年3月1日にドイツのフランツ・ホフマン(タウトと共同の設計事務所を持っていた人物)から日本のタウト宛にドイツ帰国を勧める手紙が届いている(タウトは、帰国しても自由がないと言って、この話を断っている)ことも1つの証拠になっている。
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