ミネソタ州知事へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:19 UTC 版)
「ティム・ポーレンティー」の記事における「ミネソタ州知事へ」の解説
2002年にミネソタ州のジェシー・ベンチュラ州知事の後任として選出される。保守的な立場から中絶反対の活動をした後、ミネソタ州は45億ドルの財政赤字に陥っていたため、財政再建の経済政策を行う。議会の経済計画では増税無しで財政赤字を州の財政赤字を削減する法案を採用し、2003年1月6日にミネソタ州知事に正式に就任した。2004年にポーレンティーはミネソタ州を「アメリカの再生可能燃料の中心地」とする計画も発表。2005年に同州の財政赤字を削減するため、増税の公約を破ること無く予算のバランスの取れた政策を行った。2006年に僅かの差でミネソタ州知事選挙で勝利を果たして再選した。再選の終わりの年に45億ドルの赤字を22億ドルの黒字に削減する事に成功したと発表した。その後福祉の改革に向けて法律に署名した。 2007年と2008年は全米知事協会の会長を務める。また大統領選挙に向けて活動を行うジョン・マケイン上院議員を支持するため、マケインの選挙キャンペーンの共同議長となった。大統領選挙での共和党候補にマケインが選ばれると、48歳という若さと州知事としての実績・イラク戦争でのアメリカ軍増派による成功を評価している事などの理由から、有力な副大統領候補の1人として注目を集めていた。結果的に副大統領候補にはサラ・ペイリンが選ばれた。 2010年9月17日にミネソタ州産業の日本でのマーケット拡大を狙って、ミネソタ州の経済ミッション団と共に初来日している。ミネソタ州企業の3M住友スリーエムが期間限定でオープンしている「3Mストア」の表参道店を視察した。 なお2009年にポーレンティーは2010年のミネソタ州知事選挙で3選を目指さないとして、出馬を拒否した。3選拒否の理由は「州行政を引っ張る新たな人材が必要」との事だったが、元々ミネソタ州は民主党の地盤(2006年の州知事選挙でも僅差の勝利だった。)であり、自身の支持率も低下しており、次の民主党候補に苦戦を強いられる可能性があるためと憶測もある。だが一方で2012年アメリカ合衆国大統領選挙に出馬するためだとも言われている。しかし、共和党の大統領候補の中では他の候補者と比べて支持率が低く、本人は「2012年になってから大統領選挙に出馬するかどうか決める」と語っていた。
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