ミネソタ準州知事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 09:05 UTC 版)
「アレクサンダー・ラムジー」の記事における「ミネソタ準州知事」の解説
ラムジーはペンシルベニア州で成功を収め、1848年の大統領選挙でザカリー・テイラーの選出に貢献した。ラムジーはその論功行賞として、フィラデルフィアの港で徴税官となることを希望した。だがラムジーの意に反して1849年4月2日、テイラー大統領はラムジーをミネソタ準州の知事に指名した。ミネソタ準州は前月3月3日に成立したばかりの新しい準州であり、ラムジーはその初代知事となった。ラムジーは1849年6月1日に準州知事に着任した。ラムジーは準州知事を4年間務めた。1853年、民主党のフランクリン・ピアーズが新大統領となると、ラムジーは5月15日に更迭された。ラムジーはその後、ミネソタ州民として生涯を費やした。 準州知事としてラムジーは、準州議会を開催するため総選挙の実施を命じた。またラムジーはインディアンと土地の問題について交渉を行い、スー族と土地条約を締結した。この際、ラムジーは交渉において不正行為をはたらいたとして告発を受けた。この疑惑は後に連邦上院によって調査され、ラムジーは潔白であるとの結論が出された。 ラムジーは準州知事を退任後もミネソタに残り、セントポール市内に居住した。ラムジーは弁護士業を再開した。ラムジーはまた、ボールドウィン・スクールの校長を2年間務めた。この頃ラムジーは、ホイッグ党から共和党に移った。
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