ミネソタ禅センター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 17:56 UTC 版)
1972年にミネアポリスのカルホーン湖近くに移動した。 そこで彼は後にミネソタ禅センター(願生寺)となる小さな禅堂の住職となった。 更に、南ミネソタに宝鏡寺を創設した。 ミネソタ行きを決めたのは、そこに禅の指導者がほとんどいなかったからである。彼は、アメリカの禅の指導者の大多数はニューヨークかカリフォルニアにおり、その間の中部地方は人手が足りなかった現状を見た。 1970年代から1980年代にかけ、彼は楢崎一光が堂頭を務める瑞應寺に多くの修行者を送り出した。 1984年にはゼンテツ・リチャード・ベーカーのサンフランシスコ禅センター住職辞任により、センターより依頼されて臨時住職を1985年まで務めた。 1990年にガンで遷化するまで、ミネソタに留まった。
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