マスメディアへの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 22:49 UTC 版)
伊勢湾台風は、東海テレビ放送および中部日本放送(現:CBCテレビ・CBCラジオ)など、愛知・岐阜・三重3県の民放再編や、災害時における一般市民とラジオのあり方について影響を与えた。 台風襲来当時、日本で最初に開局した民放局であるCBCはテレビ放送を開始して3年未満、ラジオ放送を開始して10年に満たず、CBCと同じ中日新聞社系列の東海テレビは開局して1年も経っていなかった。NHK名古屋放送局のテレビ放送もやっと5年を経過した状況であった。1959年(昭和34年)4月10日、当時の皇太子と正田美智子の「世紀のご成婚」があったことで、テレビジョン放送の全国ネットワークがようやく作られ始めたものの、白黒テレビはまだ高嶺の花だった(当時、14インチで約6万円程度。現在の価値で換算すると約60万円相当)。 当時主流のラジオは中波 (AM) 放送しか存在せず、NHK名古屋は現在同様3県をエリアとしていた。民放はCBCラジオが名古屋に本社を置いて3県をエリアとしていたものの中継局は今と比べて少なく、それ以外には岐阜県域のラジオ東海と三重県域の近畿東海放送が存在する程度であった。しかも、NHK・民放の両方とも常時24時間放送を行っておらず、報道取材態勢についても現在ほど充実したものではなかった。 伊勢湾台風の教訓から、乾電池を電源として使用可能な、当時最新の半導体技術を用いた小型の携帯トランジスタラジオの普及が進む要因となり、これによりラジオ放送が受信可能な状況が大幅に増え、いつでもどこでも迅速な情報入手が可能となったことで、台風や地震の際に活用されている。 1951年(昭和26年)9月1日 - 中部日本放送(CBCラジオ)が、日本初の民放局として開局。朝6時半に本放送開始(新日本放送(後の毎日放送。現:MBSメディアホールディングス)は同日正午にラジオ本放送開始) 1953年(昭和28年)12月1日 - ラジオ三重(後の近畿東海放送)開局 1954年(昭和29年)3月1日 - NHK名古屋放送局、総合テレビ本放送開始 1955年(昭和30年)3月 - (旧)岐阜放送(後のラジオ東海)開局 8月 - 東京通信工業(現:ソニー)、日本初のトランジスタラジオ発売 1956年(昭和31年)12月1日 - CBCテレビ本放送開始 1958年(昭和33年)12月25日 - 近畿東海放送とラジオ東海の合弁により東海テレビ放送開局 1959年(昭和34年)9月26日 - 東海ラジオ放送名古屋局の予備免許下りる。その夜、伊勢湾台風上陸 11月20日 - 近畿東海放送とラジオ東海が合併し、東海ラジオ放送設立 1960年(昭和35年)3月31日 - 旧近畿東海放送と旧ラジオ東海がこの日を最後に閉局し、翌日に東海ラジオ放送開局 1962年(昭和37年)12月24日 - 岐阜日日新聞(現:岐阜新聞)の子会社として、ラジオ岐阜(現:岐阜放送、ぎふチャン)開局
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