マクスウェルの『電気磁気論』
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「専門書」の記事における「マクスウェルの『電気磁気論』」の解説
マクスウェルは先人の研究、特にマイケル・ファラデーの実験的研究、ウィリアム・トムソン(後のケルビン卿)の熱流との類似性、ジョージ・グリーンの数学的解析をもとに、電気と磁気に関するすべての知見を1つの数学的枠組み、マクスウェル方程式に統合した。当初は全部で20の方程式があった。マクスウェルは『電気磁気論』(1873年)の中で、これらを8つに集約した。マクスウェルはその方程式を用いて、光速で伝わる電磁波の存在を予想したのである。すなわち、光は電磁波の1種に過ぎないということである。マクスウェルの理論から、異なる周波数を持つ他の種類の電磁波が存在するはずだという予想が導かれた。この予想は、ハインリヒ・ヘルツによっていくつかの巧妙な実験の後、正しいことが確認された。その過程でヘルツは現在電波と呼ばれているものを発生・検出し、粗い電波アンテナや衛星放送受信アンテナの前身を作った。ヘンドリック・ローレンツは、適切な境界条件を用いて異なる媒体における光の反射と透過に関するフレネルの式をマクスウェルの方程式から導いた。また、マクスウェルの理論が、他のモデルで失敗した光の分散現象を明らかにすることに成功したことを示した。そして、ジョン・ストラット(レイリー卿)とウィラード・ギブズは、マクスウェルの理論から導かれた光学方程式が光の反射、屈折、分散について実験結果と矛盾しない唯一の自己無撞着な説明であることを証明した。こうして光学は、電磁気学という新たな基盤を得た。 ヘルツの電磁気学の実験的研究は、長く高価なケーブルを必要とせず、電信よりも高速な無線通信の可能性に興味を持たせた。1890年代には、グリエルモ・マルコーニがヘルツの装置を無線通信用に改造した。1900年にはイギリスとフランスの間で初の国際無線通信を実現し、翌年にはモールス信号による大西洋横断のメッセージ送信にも成功した。この技術に目をつけた海運業界は、すぐにこの技術を採用した。ラジオ放送は20世紀に広く普及し、21世紀初頭でもなお普通に使われている。しかし、マクスウェル電磁気学の理論を熱心に支持したオリヴァー・ヘヴィサイドこそが、その後何十年にもわたってマクスウェルの研究を理解し、応用法を示したという点で最も評価されるべき人物である。彼は、電気電信、電話、電磁波の伝搬の研究に大きな進展をもたらした。ギブスから独立したヘヴィサイドは、当時流行していたがヘヴィサイドが「反物理的で不自然」だと切り捨てた四元数に代わるベクトル解析と呼ばれる数学の道具一式を構築した。
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