マクジニスの乱脈経営による二度目の倒産へ
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「ニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道」の記事における「マクジニスの乱脈経営による二度目の倒産へ」の解説
1951年以降は貨物輸送も旅客輸送も損失が増大し、以前拡大した路線網も維持費や運営費すら賄えない閑散線区を多く抱えていた。貨物列車は個々の単位が小さく入れ替えのコストが高くつき、旅客列車でもラッシュアワーでの列車本数を増発しニューヨーク~ボストン間やニューヘイブン~ハートフォード~プロビデンス郡間で通勤列車を走らせたものの、そのための設備投資は回収できず収益悪化を招いた。決定的だったのはコネチカット・ターンパイク等の州間高速道路の整備であり、不十分・不適切な投資を数十年間に渡って行った結果、もはや自動車やトラックに対抗し得る競争力をNHは失ってしまった。 ニューヘブン鉄道のEP5電気機関車ハーバード・マターのデザインによる新塗装をまとっている 1954年にはパトリック・B・マクジニス(Patrick B. McGinnis)が、社長のフレデリック・C・ブック・デュマイン・Jr(Frederic C. "Buck" Dumaine Jr.)に対して株主への配当を増やす様にプロキシーファイトを仕掛け、経営権を掌握すると長年の知己であるアーサー・V・マクゴーアン(Arthur V. McGowan)を副社長に据えた。マクジニスは、デザインのハーバード・マターに依頼してコーポレートカラーを一新・イメージの刷新を図りながらも、肝心の鉄道網の整備や維持は先送りされ1955年にはハリケーンで大損害を被ってNHの経営は非常に弱体化した。1956年には会計粉飾からマクジニスが経営陣から追われ、ピギーバック輸送の開始や設備更新などようやく改革に乗り出すものの、1959年にはマサチューセッツ州南東部における旅客輸送を廃止。1961年7月2日には再度経営破綻に追い込まれた。
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