マイクロコンピュータにおけるキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/18 05:08 UTC 版)
「ジム・バターフィールド」の記事における「マイクロコンピュータにおけるキャリア」の解説
1976年5月、バターフィールドはマイクロコンピュータに強い関心を持つようになり、モステクノロジーのKIM-1を購入した。後に、このマシンに関する本を共著で執筆した。彼は多くのコンピュータ用のゲームやアプリケーションを製作し、『コンピュート!(英語版)』、『コンピュート!ガゼット(英語版)』、『ザ・トランザクター(英語版)』、『プリントアウト(英語版)』などのコンピュータ雑誌の常連寄稿者となった。その後も、MOS 6510プログラミングの代表的な参考書である『Machine Language Programming for the Commodore 64 and Other Commodore Computers』など数冊の書籍を出版した。バターフィールドの文章は「技術的な内容にもかかわらず、くだけていて機知に富んでいる」と称賛され、『ザ・トランザクター』にはバターフィールドのグラビア風写真(服は着ていたが)が掲載されたこともあるほど、彼はコモドールのユーザーに愛されていた。 バターフィールドはトロントPETユーザーズグループ(英語版)(TPUG)の設立に協力し、1979年の第1回会合で講演を行った。講演者や教育者としてのバターフィールドの評判は高まり、初期のTPUGミーティングには何百キロもの距離を車で移動して彼の講演を聞く人々がいた。バターフィールドは世界中の科学会議やコンピュータ展示会で講演を行い、ヨーロッパでは「コモドールの教皇」(Commodore Pope)と呼ばれた。コモドール社は彼と契約して、新製品のVIC-20のサポートツアーを行い、後にコモドール64のトレーニングビデオを制作した。1983年、バターフィールドはTVオンタリオ(英語版)の教育シリーズ『The Academy』の専属専門家として出演した。この番組は、同局の『Bits and Bytes』と対になるもので、バターフィールドはこの番組の監修や付属の本の執筆を行った。同年、バターフィールドと共同司会のジャック・リヴスレイは、コモドールが主催した展示会「ワールド・オブ・コモドール(英語版)」に出演した。 1980年代に入ってからもバターフィールドはTPUGとの関係を続け、TPUGとジョージ・ブラウン大学(英語版)で機械語コースを教えた。バターフィールドは亡くなるまで、TPUGの会合やワールド・オブ・コモドールなどのイベントで定期的にクラスやセミナーを開催していた。直接参加できない人のために、バターフィールドは毎日午前10時から午後10時まで電話を受け付け、毎週何百もの質問を受けていた。また、当時のオンラインコミュニティでは、Quantum Link(英語版)やGEnie(英語版)などのオンラインサービスでQ&Aセッションを定期的に開催するなど、大きな存在感を発揮していた。バターフィールドはまた、Microsoft BASICのAtari 8ビット・コンピュータ版など、コモドール以外のコンピュータについても執筆していた。 バターフィールドは自由にソースを利用できるソフトウェアの初期の提唱者の一人であり、TPUGソフトウェアライブラリの始まりとなった約80のプログラムのうちの4分の1を製作した。彼のソフトウェアの多くは、彼が寄稿していた雑誌にソースコードが掲載されていた。それらの中で最もよく知られているのはSuperMonとTinyMonである。これは、多くのアセンブリ言語プログラマがコードのデバッグやテストに使用していた機械語モニタである。バターフィールドが製作したプログラムの中で商用で販売されたのは、ワードプロ(英語版)用のスペルチェッカー・SpellProが唯一だった。
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