ポート・カイトゥマ空港の惨劇
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「ジム・ジョーンズ」の記事における「ポート・カイトゥマ空港の惨劇」の解説
代表団のメンバーが飛行機に搭乗している際、ジョーンズの武装警備隊、赤旅団(英語: Red Brigade)がトラクターとそれに繋がれたトレーラーで滑走路に乱入し、銃撃を開始した。襲撃者達は、ガイアナ・エアウェイズ(英語版)・デ・ハビランド・カナダ DHC-6の傍で、ライアンと他4名を殺害した。時を同じくして、ジョーンズタウンからの離脱希望者と見られていたラリー・レイトンが銃を取り出し、小さなセスナ機に搭乗していた帰国希望者たちを襲撃し始めた。NBCのカメラマンが、このDHC-6襲撃の最初の数秒間をカメラで撮影していた。 この襲撃で殺害されたのは、ライアンの他に、NBC記者のドン・ハリス、NBCカメラマンのボブ・ブラウン、サンフランシスコ・エグザミナーカメラマンのグレッグ・ロビンソン、そして人民寺院信者で帰国希望者のパトリシア・パークスの計5名である。この襲撃の生還者の中には、後にアメリカ合衆国下院議員になるジャッキー・スペアー(英語版)、ジョージタウンのアメリカ合衆国大使館副使命リチャード・ドワイヤー、NBCプロデューサーのボブ・フリック、NBC音響技術者のスティーブ・サン、サンフランシスコ・エグザミナー記者のティム・ライターマン、サンフランシスコ・クロニクル記者のロン・ジャヴァーズ、ワシントン・ポスト記者のチャールズ・クルーズ、そして数名のジョーンズタウンから帰国を希望した人民寺院信者がいた。
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ポート・カイトゥマ空港の惨劇
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「ジョーンズタウン」の記事における「ポート・カイトゥマ空港の惨劇」の解説
ライアン代表団は大きなダンプドラックに乗ってポートカイトゥマ空港へ向かい始めたが、ライアンとドワイヤーは追加の離反者のためにジョーンズタウンの近くに留まっていた。ダンプトラックがジョーンズタウンを離れる直前に、人民寺院信者のラリー・レイトンが、飛び乗ってきた。離反者の中の数人は、ラリー・レイトンがジョーンズタウンを離れる動機に対する疑念を口にしていた。 ダンプトラックがジョーンズタウンを出発してすぐに、教団信者のドン・"ウラジャ"・スライが、ナイフを握りしめてライアンに掴みかかった。スライは代表団の他のメンバーによって取り押さえられたが、ライアンに怪我は無かった。ドワイヤーは、ライアンにすぐにジョーンズタウンを離れ、スライに対して刑事告発を行うよう強く訴えた。ライアンはそれに同意し、後に刑事告発することを約束した。空港へ向かうトラックは、ライアンへの攻撃を聞きつけた乗客によって止められ、ライアンをも乗せて空港へ向かうことになった。 元々、ライアンの側近たちはガイアナ・エアウェイズ(英語版)が所有する定員19人のDHC-6(ツインオッター)でジョージタウンに戻る予定だった。ジョーンズタウンから離反者達を連れてきたことで、人数が多くなり、追加の飛行機が必要となった。そのため、アメリカ合衆国大使館が2機目の飛行機として、6人乗りのセスナを準備した。代表団は、午後4:30から午後4:45の間に空港に到着したが、飛行機は予定通りには到着していなかった。一行は飛行機が到着する午後5:10頃まで待つほかなかった。そして、2機目の飛行機が到着してから搭乗が始まった。 レイトンは、セスナの乗客として乗り込んでおり、セスナの方が先に飛び立つ予定だった。セスナが、滑走路の一番端に到着した後、レイトンは拳銃を持ち出し乗客を銃撃し始めた。レイトンは、バグビーとゴスニーを負傷させ、デール・パークスをも殺そうとしたが逆に拳銃を奪われた。 その間、より大きなDHC-6に乗客たちが乗り込んだ。人民寺院の自警団・赤い旅団の団員に運転されたトラクターが滑走路に現れ、DHC-6へと近づいた。トラクターにはトレーラーが接続されていた。トラクターがDHC-6の30フィート (9m)程度まで近づき、それとほぼ同時にセスナでの襲撃が始まった。赤い旅団もショットガンや拳銃、ライフルで銃撃を開始した。少なくとも2名の襲撃者が飛行機の周りを囲いながら襲撃を行った。恐らく、9名の襲撃者がいたとされるが、全員の情報は分かっていない。しかし多くの情報源から、ジョー・ウィルソン、トマス・カイス・シニア、ロニー・デニスがその中にいたとされている。 襲撃の最初の数秒は、NBCのカメラマン、ボブ・ブラウンによってENGビデオテープに記録されていた。ブラウンは、ロビンソン、ハリス、人民寺院離反者のパトリシア・パークスとともに襲撃から数分のうちに殺害された。ライアンは、20発を超える銃撃を受け死亡した。スペア―、サン、ドワイヤー、ライターマンとアンソニー・カツァリスはDHC-6の周りの9名の負傷者の中にいた。襲撃の後、セスナ機のパイロットはDHC-6のパイロット、副パイロットとともに、セスナ機をジョージタウンへと飛ばした。機体にダメージを受けたDHC-6と怪我を負ったライアン代表団のメンバーは滑走路に置き去りにされた。
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