ホンダとの提携
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/26 02:57 UTC 版)
「モンテッサ・ホンダ」の記事における「ホンダとの提携」の解説
1981年、スペイン経済は再び不況に陥り、オートバイ産業は深刻な打撃を受けた。ストライキの波と市場の縮小は、スペインで唯一の大手オートバイメーカーともいえるモンテッサにも襲い掛かかり、会社が生き残るためには大幅な援助を必要としていた。そんなモンテッサを救ったのは、ヨーロッパにおける小型オートバイの生産拠点を必要としていたホンダであった。ホンダの資本参加と政府からの援助(ホンダによって生産継続が保証されることが援助の条件だった)によって、モンテッサは生産を続けることができた。一方のホンダにとっては、将来有望なヨーロッパのトライアルバイク市場への参入を見越し、関税による競争力低下を避けるための現地生産への足がかりという意味があった。 1985年7月、ホンダが本格的に経営に参入すると同時に組織が大幅に再編成された。ラインナップは二つのトライアルモデルのみに絞られ、従業員数も152人にまで減少した。1年後にはホンダはスペイン政府とペルマニエル一族が持つ株式を買い取り、モンテッサの株の85%を持つに至った。更にホンダは500万ドルをかけて工場を新装した。 その後は主にホンダのモペッドを生産しておりモンテッサブランドのオートバイはコタのみとなってしまったが、コタは世界中のトライアル競技で活躍している。中でも1980年代から1990年代にかけてコタを駆って活躍した元世界チャンピオンのエディ・ルジャーンやヨーロッパチャンピオンのアンドリュー・コディナは有名である。 1992年から1993年まで水冷エンジンのコタ311が生産されたが、これがモンテッサオリジナルのオートバイとしては最後となった。翌1994年に発表されたニューモデルのコタ314RはHRC製のエンジンを搭載し、他にも多くのホンダ製コンポーネントが使用されていた。 1996年、画期的軽量マシンのコタ315Rのプロトマシンがデビューし、マルク・コロメがこのマシンで世界タイトルを獲得、また同年から藤波貴久がコタ315Rと同型のホンダRTL250Rで世界選手権デビューを果たした。コタ315Rは1997年に市販車デビュー。2004年まで世界選手権のトップで活躍し、ドギー・ランプキン(2000-2003タイトル獲得)、藤波貴久、マルク・フレイシャによって世界選手権で多くの勝利を収める。2000年からはトライアル世界選手権に参戦するホンダのワークスチームがモンテッサ・HRCとなり、コタは正式にホンダのワークスマシンとされている。2004年はコタに乗る藤波貴久が日本人初のトライアル世界チャンピオンとなった。 そして2005年、315Rは役目を終え、最新の技術を投入した4ストロークエンジンのコタ4RTにバトンタッチ、2007年にトニー・ボウチームに加入し、以降タイトルを獲得し続けている。2020年現在、ボウと藤波の二人がモンテッサを駆ってレプソル・ホンダ・チームから世界選手権に参戦している。
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