ベトナムの僧侶に関する報道とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ベトナムの僧侶に関する報道の意味・解説 

ベトナムの僧侶に関する報道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 14:38 UTC 版)

本多勝一」の記事における「ベトナムの僧侶に関する報道」の解説

ベトナム北ベトナム軍侵略統一された後、旧南ベトナムカントー市にある永厳寺で、12人の僧侶集団自殺をした。共産政府への抗議自殺である。これについて本多自著ベトナムはどうなっているか」(朝日新聞社刊)で、「サイゴン当局捜査によれば色気違い坊主による単なる無理心中事件。」と発表した。 これを受けて東京学芸大学教授殿岡昭郎が、『諸君!』(1981年5月号)において、「本多氏ハノイスピーカー役を果たしている」と批判殿岡は、ベトナム統一仏教最高委員会のマン・ジャックと会って真相聞き焼身自殺直前勤行録音したテープ入手し心中などでなく共産政府への抗議殉教である確証つかんでいたのである。 すると本多連載する貧困な精神1981年9月号)」において、「敵を攻撃するときの文章作法」と題し匿名扱い殿岡を、「馬鹿か無能」「物笑いの種」などと書いて罵倒し、さらに殿岡勤め学芸大学当局に「殿岡のような程度の低い教授一度任命されれば、もはやこれを罷免する権利はどこにもないのでしょうか。」という類の内容を含む「公開質問状」と称する手紙送り続ける。 学長教授会幹部は、「無礼な手紙答える必要はない」とし無視するが、これから三ヶ月後、殿岡学芸大学退職したその後、『諸君!』の発行元文藝春秋殿岡相手取り損害賠償請求訴訟起こす本多は、ハノイ当局見解伝えただけなのに、それが本多本人見解あるかのように執筆した点が名誉毀損であると主張した。なお、本多裁判中殉教自殺心中かはという争点からは避け続けた。そして1992年2月25日東京地裁民事三十六部において「本多氏取材内容信憑性疑ったことは相当の根拠があった。」とし、本多請求棄却する判決下った。 これを受けて右翼立場からは「そもそも記者たるものが、他人見解伝えただけと居直る発想腐っている。」や「抗議仕方陰湿だ。」といった批判がある。

※この「ベトナムの僧侶に関する報道」の解説は、「本多勝一」の解説の一部です。
「ベトナムの僧侶に関する報道」を含む「本多勝一」の記事については、「本多勝一」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ベトナムの僧侶に関する報道」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

ベトナムの僧侶に関する報道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ベトナムの僧侶に関する報道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの本多勝一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS