ベトナムの侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 01:28 UTC 版)
容共であったシアヌーク体制下でカンボジア領内に多くの後方基地を設け、また食料の買い付けを行っていた北ベトナムは、1970年3月29日、カンボジア東部に侵攻した。この侵攻はクメール・ルージュのヌオン・チアからの明確な要求によって行われたとされている。 北ベトナム軍はカンボジア東部を瞬く間に蹂躙し、プノンペンの24km以内に迫った。カンボジア軍を破った後、北ベトナム軍は獲得した地域を地元の武装勢力へと引き渡していった。一方、クメール・ルージュは北ベトナム軍からは独立して活動し、カンボジア南部および南西部に「解放区」を打ち立てた。 ベトナム侵攻後、激しい反ベトナムキャンペーンを行い、在カンボジアのベトナム系住民を迫害した。プラソト、ネアクルン、タケオなどでは収容所に隔離させられたベトナム系住民の集団虐殺が起きている。このため、在カンボジアのベトナム系住民50万人のうち、1970年からわずか1年の間で、20万人がベトナムに大量帰還した。
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