鄧小平時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 06:22 UTC 版)
詳細は「中越戦争」を参照 鄧小平が中国の最高指導者に就いてすぐに、ベトナムがカンボジアに侵攻して、1979年1月にクメール・ルージュが打倒され、大虐殺が終わった。その後、カンプチア人民共和国が樹立された。東南アジアのベトナムとソ連軍に対抗するために、中国は公式にベトナムの侵攻を非難し、民主カンプチアへの物資の支援を継続した。ベトナムのカンプチア侵攻への報復として、1979年初頭にベトナムへ侵攻した。しかし、鄧小平はシンガポールの首相リー・クアンユーとの会談で、戦争の規模、継続期間が限られていることを確信した。1ヶ月の戦争を経て、シンガポールは、カンボジア問題に関する中国とベトナムの仲介を引き受けた。
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