鄧州の印象
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 05:10 UTC 版)
晩年の鄧州の姿、印象について同時代の随筆が何点か残されている。 「この和尚、南天棒と聞いただけでは、体幹長大容貌怪偉、古の山法師と、今日に見るが如くにも想像せられるが、さて逢って見ると、これはしたり、肥えてはいるが身長五尺を出づること多からず、風采粗野なる好々爺。若し、これに、どんつく布子を纏わしめて、磯辺にでも佇ましめれば、寂然一個の老漁夫なるべき、また若しこれに、鍬を持たせて田甫に在らしめば、誰が眼にも、百姓爺は動かぬところ」――高島大円『熱罵冷評』 「乗り降りにも難儀するほど不自由な体でありながら、顔だけには強い底力がむき出しに動いているを認めないわけにはいきませんでした。ベートーベンの顔をまるで獣のようだといった人がありますが、そんな意味において、この坊さんの顔もよく似た獣に似ていて獣の野性と敏捷さとが眼にちらついていました。名前をききますと、この坊さんが南天棒鄧州和尚でした。『やはり猛獣使いだ。あの眼がそういっている……』 私はそう思わずにはいられませんでした」――薄田泣菫『太陽は草の香がする』 「南天棒は元来無邪気で資性実に愛すべき好人物である。先度も話したが、南天棒の携帯を中止してはどうかといったら、根が正直にして純朴なる彼は忽ちその棒を投じて見せたが、彼は無邪気にして人の忠告を容れる余地あるのみならず、また能く人の善言を敢行する有るは感心で、要するに彼は一派管長の器量がある」――竹田黙雷『禅機』 「南天棒は、そのころすでに七十もよほどすぎた老僧でしたが、見かけたところ、真浄老師の痩せた枯淡そのものとは対照的に、肉づきのいい大柄で、酒好きらしい血色、頑固で、テコでも動かない田舎爺さんのような風貌の人でした」――平塚らいてう『原始、女性は太陽であった』 だが、瑞巌寺での住職時代、同地での評価は芳しいものではなく、次のように酷評されている。 「気鋒辛辣、一世を空うして衆僧辟易せざる無し。(中略)、鄧州性豪放にして檀徒を見ること土芥の如く、いたる所衆望を得る能わず」――『仙台人名大辞書』
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