鄧小平時代・冷戦後
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1976年9月9日の毛沢東の死後、鄧小平が1977年より中国の新指導者として復活する。 1979年、初の遠望型衛星追跡艦が任命される。長征ロケットシリーズの更なる発展が進められ、商業衛星打ち上げも活発化し、海外の衛星も打ちあげるようになる。 1980年10月16日、ロプノールで最後の大気圏内核実験。 1986年3月に「863-2宇宙航空計画」が提案。後にスペースプレーン案は却下され、変わりにシンプルな宇宙カプセル案が採用されたがこれは実現されなかった。 1988年7月5日、航空航天工業部(MOS)が設立。 1992年、921計画 1992年5月11日、威力1メガトンの地下核実験が行われた。 1993年6月、中国国家航天局と中国航天工業公司が設立。 1995年1月26日に西昌衛星発射センターより打ち上げられた長征2E型は打ち上げ直後に爆発。20人の村民が死亡。 1996年2月15日西昌衛星発射センター長征3号Bの初打ち上げ中に、ロケットが突然進路から大きく外れ、発射台から1,850m 離れた山村に衝突、公式発表によれば80の民家が破壊され、非公式の中国メディア発表では500人以上の市民が死亡した。 1996年7月29日 ロプノールで最後の地下核実験。 長征ロケットの記録については長征ロケットの一覧を参照。 1999年10月14日、ブラジル国立宇宙研究所と共同開発の資源探査衛星(中国・ブラジル地球資源衛星)が打ち上げられた(2003年と2007年にも)。 1999年11月20日、中華人民共和国建国50周年記念に中国は神舟1号を打ち上げ。 2003年10月15日、神舟5号を打ち上げ世界で3番目に自力で有人宇宙飛行に成功。 2007年1月11日、自国の老朽化した気象衛星風雲1号C型を衛星攻撃兵器で破壊し、各国から懸念された。 2007年10月24日、嫦娥計画のもと初の月探査機嫦娥1号が打ち上げ、月軌道に到達した5番目の国となった。 2008年9月25日、神舟7号打ち上げ成功。 2011年8月18日、実践11号04星をのせた長征2号Cの打上げに失敗。 2011年9月29日、宇宙ステーションの試験機である天宮1号打ち上げられる。 2020年4月16日、中国がいまだに核実験を秘密裏に行い続けている可能性があるという報告書が米国務省に提出。 2021年4月29日、実用版の宇宙ステーションである天宮が打ち上げられる。 詳細は「中国の宇宙開発」を参照
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