鄧小平の再登場とは? わかりやすく解説

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鄧小平の再登場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 05:37 UTC 版)

二つのすべて」の記事における「鄧小平の再登場」の解説

革命路線継承経済建設両立加えもう一つ難題間もなく浮上した鄧小平再復活問題である。 1976年12月中共中央は「四人組反対して迫害受けた全ての人の名誉の一律回復」を通達した。しかしもし鄧小平復活すれば権力基盤未だ固まっていないにとって重大な脅威になる。上記通達同時には「毛主席中共中央文革反対する者の名誉回復断じて許されない」との決定行い、鄧復活強く釘を刺した。 しかし情勢次第鄧小平待望論を高めていった。こうした状況注意深く観察しながら、鄧小平したたかな手を打った二度にわたり手紙書き主席の「英明果敢な指導」を絶賛し主席断固擁護すること、自己の誤り虚心に認めることを伝えたこの手紙で、鄧小平は、本心巧みにカムフラージュして、「1975年に私が日常業務主催していた間の欠点誤り対す毛主席教え批判誠実に受け入れる」と書くのと同時に、「我々は正しい、全体として毛沢東思想用いて社会主義事業前進させなければならない」という表現用いた毛沢東一つ一つ決定指示をすべて忠実に守ろうとするに対して、「毛沢東にも間違いがある。誤りのない人間はいない」とする鄧小平は、「個々決定指示」でなく、「正しい、全体として毛沢東思想」を守るべしとしたのである。 この結果鄧小平この年7月の党10期三中全会で党副主席副首相、軍総参謀長職務復帰した。これは、華国鋒葉剣英に次ぐ、ナンバー3地位であったとはいえ復活後の彼は、もはや周恩来存命のような権力をふるうことはできなかった。今回失脚は期間こそ僅か1年3か月であったが、その間中央政界は、毛沢東の死の4ヶ月後に「四人組」逮捕という荒業やってのけた英明な領袖華国鋒主席」を中心に再編成されてしまったからである。鄧小平復活直後8月開かれた11全大会では、主席の下、副主席には従来葉剣英鄧小平二人加え李先念汪東興2人選出され鄧小平の力は相対的に弱まった李先念古参幹部として、ライバルと言える存在であったし、汪東興は「二つのすべて」派の中心人物であったこのような状況にあっても、鄧小平本当狙い追い落としであった前述、党10期三中全会で彼は、「毛思想全面的かつ的確に理解しよう」と題する重要講話行い、「個々字句からだけで毛思想理解してならない。」「実事求是事実基づいて真理求めること)が特に重要だ」と力説しの「二つのすべて」を暗に批判した

※この「鄧小平の再登場」の解説は、「二つのすべて」の解説の一部です。
「鄧小平の再登場」を含む「二つのすべて」の記事については、「二つのすべて」の概要を参照ください。

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