鄧小平の再登場
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革命路線の継承と経済建設の両立に加え、もう一つの難題が間もなく浮上した。鄧小平の再復活問題である。 1976年12月、中共中央は「四人組に反対して迫害を受けた全ての人の名誉の一律回復」を通達した。しかしもし鄧小平が復活すれば権力基盤が未だ固まっていない華にとって重大な脅威になる。上記の通達と同時に華は「毛主席、中共中央、文革に反対する者の名誉回復は断じて許されない」との決定を行い、鄧復活に強く釘を刺した。 しかし情勢は次第に鄧小平待望論を高めていった。こうした状況を注意深く観察しながら、鄧小平はしたたかな手を打った。二度にわたり華に手紙を書き、華主席の「英明・果敢な指導」を絶賛し、華主席を断固擁護すること、自己の誤りは虚心に認めることを伝えた。この手紙で、鄧小平は、本心を巧みにカムフラージュして、「1975年に私が日常業務を主催していた間の欠点や誤りに対する毛主席の教えや批判は誠実に受け入れる」と書くのと同時に、「我々は正しい、全体としての毛沢東思想を用いて、社会主義の事業を前進させなければならない」という表現を用いた。毛沢東の一つ一つの決定や指示をすべて忠実に守ろうとする華に対して、「毛沢東にも間違いがある。誤りのない人間はいない」とする鄧小平は、「個々の決定や指示」でなく、「正しい、全体としての毛沢東思想」を守るべしとしたのである。 この結果、鄧小平はこの年7月の党10期三中全会で党副主席、副首相、軍総参謀長の職務に復帰した。これは、華国鋒、葉剣英に次ぐ、ナンバー3の地位であった。 とはいえ復活後の彼は、もはや周恩来存命中のような権力をふるうことはできなかった。今回の失脚は期間こそ僅か1年3か月であったが、その間に中央政界は、毛沢東の死の4ヶ月後に「四人組」逮捕という荒業をやってのけた「英明なる領袖;華国鋒主席」を中心に再編成されてしまったからである。鄧小平の復活直後の8月に開かれた党11会全大会では、主席の華の下、副主席には従来の葉剣英、鄧小平の二人に加え、李先念、汪東興の2人が選出され、鄧小平の力は相対的に弱まった。李先念は古参幹部として、ライバルと言える存在であったし、汪東興は「二つのすべて」派の中心人物であった。 このような状況にあっても、鄧小平の本当の狙いは華の追い落としであった。前述、党10期三中全会で彼は、「毛思想を全面的かつ的確に理解しよう」と題する重要講話を行い、「個々の字句からだけで毛思想を理解してはならない。」「実事求是(事実に基づいて真理を求めること)が特に重要だ」と力説し、華の「二つのすべて」を暗に批判した。
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