鄧小平による提唱
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「黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ」の記事における「鄧小平による提唱」の解説
1958年から始まった大躍進運動と人民公社化運動によって中国経済は巨大な損失を蒙り、いわゆる3年間の困難期には大飢饉により1500万から5500万人に及ぶ死者が生じた。1961年初め、中国共産党第8期中央委員会第9次全体会議(八届九中全会)は「調整、鞏固、充実、提高」(調整し、強化し、充実させ、向上させる)の八字方針(中国語版)を掲げた。1962年初め、七千人大会が開かれ、当時の国家主席劉少奇は大飢饉の原因を「三分天災、七分人禍」と総括し、中国共産党中央主席の毛沢東は自己批判を行った。 こういった背景のもとに、劉少奇、鄧子恢(中国語版)らは三自一包(中国語版)による国有資産への投資の縮小と自由市場の開放を提起し、鄧小平はそれに猫論を付け加えた。これらの理論が実際に意味したのは、経済の発展と生産力の解放のためにはどのような形式も許容され得るということであった。1962年7月2日(6月15日とも)、鄧小平は三自一包のうちの「包産到戸」について支持を表明し、その際に四川(安徽とも)のことわざとして「不管黄猫黒猫、捉到老鼠就是好猫」(黄色い猫でも黒い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ)という言葉を引用して初めて猫論について述べた。7月7日に発表した「どのように農業生産を回復するか」(中国語: 怎样恢复农业生产)という文章の中で、鄧小平は「包産到戸」の評価について次のように語っている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}刘伯承同志经常讲一句四川话:‘黄猫、黑猫,只要能捉住老鼠就是好猫。’这是说的打仗。我们之所以能够打败蒋介石,就是不讲老规矩,不按老路子打,一切看情况,打赢算数。现在要恢复农业生产,也要看情况,就是在生产关系上不能完全采取一种固定不变的形式,看用哪种形式能够调动群众积极性就采用哪种形式。 劉伯承同志がよく使う四川の言葉がある。「黄色い猫でも黒い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ」というのだ。これは戦争についての話で、我々が蒋介石に勝つことができたのは、古いきまり、やり方に従わずその時の状況に応じて行動したからなのだ。いま、農業生産を回復するには、生産関係についてひとつの固定された不変の形式を採用するというようなことはできず、どのような形式が人々の積極性を高めることができるかについて見なければならない。 その後、話が伝わっていく中で「黄猫」は「白猫」に変化していった。 しかし当時にあってそれは、毛沢東が階級闘争を原則としていたことと矛盾を来していた。1962年8月から9月にかけての北戴河会議及び第8期中央委員会第10次全体会議では、会議の出席者は主に食糧生産の向上などの問題に重きを置いたが、毛沢東は階級闘争の情勢について集中的に述べ、階級闘争について「毎年語り、毎月語り、毎日語ろう」(中国語: 年年讲,月月讲,日日讲)と呼びかけた上に、鄧子恢らの「包産到戸」は資本主義をやろうとしていると批判を加えている。
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