ヘルツェゴビナの反乱とは? わかりやすく解説

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ヘルツェゴビナの反乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 09:20 UTC 版)

東方問題」の記事における「ヘルツェゴビナの反乱」の解説

1875年ヘルツェゴビナオスマン帝国対す反乱起こった反乱ボスニアブルガリア波及したので、これがバルカン半島全体戦争にまで発展しないよう、列強介入する必要がある考えた当時三帝同盟結んでいたドイツオーストリア・ハンガリーロシア三国は共通の姿勢を取ることを決め、アンドラーシ・ノート(Andrássy Note)という形で方針がまとめられた。この文書は、南東ヨーロッパにおける大規模な紛争火種をなくすために、キリスト教徒宗教的差別をなくすなどさまざまな改革オスマン皇帝求め、さらに、改革保証するためイスラム教徒キリスト教徒による合同委員会の設置求めていた。イギリスフランス承認経て、この文書オスマン皇帝提出され1876年1月31日には皇帝承認得た。しかし、ヘルツェゴビナの側(反乱者たち)の指導者は、以前オスマン皇帝改革約束をしたが実現しなかったという理由で、この妥協案を拒絶した三帝同盟各国代表ベルリンで再び会合しベルリン覚え書き合意した覚え書きでは、ヘルツェゴビナ指導者納得させるため、オスマン皇帝約束する改革の実施状況国際代表団監督することを求めていた。しかしオスマン帝国政府覚え書き受け入れ前にオスマン帝国内部クーデターがおこり、オスマン皇帝アブデュルアズィズ廃位された。続くムラト5世精神錯乱治らずに3ヶ月退位し混乱の末アブデュルハミト2世即位したこの間ボスニア・ヘルツェゴビナ反乱セルビアとモンテネグロ介入し、既に1875年債務不履行に陥っていたオスマン帝国困窮はここに極まった1876年8月には反乱はなんとか終息向かったが、反乱がほとんど鎮圧された頃、オスマン帝国による住民大虐殺バタクの虐殺)が明らかになり、ヨーロッパ衝撃与えた汎スラヴ主義掲げロシアは、この状況利用してオスマン帝国領割譲させるために介入しようと画策した。1876年末から1877年始めにかけて、イタリア加えた列強コンスタンティノープル和平案を協議したものの、オスマン皇帝改革監督する国際代表団受け入れ独立おびやかすことを懸念して発布されたばかりオスマン帝国憲法条文に、列強要求強く拒絶した。これを受けて1877年4月24日ロシアオスマン帝国宣戦布告した(露土戦争 (1877年-1878年))。オーストリア・ハンガリーは、ライヒシュタット協定英語版)(戦争によりロシアベッサラビア及びコーカサスを、オーストリア・ハンガリーボスニア・ヘルツェゴビナ獲得することを約束したに基づき中立保持したイギリスは、南アジア方面でのロシアの脅威危惧していたが、戦争には介入しなかった。孤立したオスマン帝国ロシア圧勝し1878年2月サン・ステファノ条約結んで以下の要求認めさせ多額賠償金得たルーマニアセルビアモンテネグロの完全な独立 ブルガリア実質的な独立 ボスニア・ヘルツェゴビナでの改革 アルメニア人の多い東部アナトリアや、ドブロジャロシアへ割譲 ロシア新たな独立国に対して保護確保し南東ヨーロッパでの影響力増大させた。 しかし、このようなロシア勢力拡大対しイギリスはじめとする列強反発し同年6月ベルリン会議開いてサン・ステファノ条約見直し勢力調整はかったルーマニアセルビアモンテネグロ独立そのまま承認されたが、その境界狭められた。ブルガリアロシア影響力警戒されて大きく二つブルガリア東ルメリア)に分割された。ボスニア・ヘルツェゴビナオーストリア管理下におかれた。ベルリン会議によって、列強間の利害問題としての東方問題」は外交的に一応の決着つけられた。

※この「ヘルツェゴビナの反乱」の解説は、「東方問題」の解説の一部です。
「ヘルツェゴビナの反乱」を含む「東方問題」の記事については、「東方問題」の概要を参照ください。

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