プロ参加解禁とU-23大会化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 08:51 UTC 版)
「オリンピックのサッカー競技」の記事における「プロ参加解禁とU-23大会化」の解説
こうした状況に変化をもたらしたのは、1984年のロサンゼルスオリンピックでのIOCによるプロ選手参加の容認であった(オリンピック憲章のアマチュア条項自体は、このロサンゼルスオリンピックの10年前の1974年の第75回IOC総会で削除されていた)。当時のオリンピックにおけるプロ解禁という潮流の一環であったが、これはIOCとFIFAの間に新しい対立を引き起こした。すなわち、集客性に富んだサッカーの充実を図りたいIOC(A代表をオリンピックに出すことを求める)とFIFAワールドカップの威厳とプレミアを守りたいFIFA(A代表をオリンピックに出せばワールドカップと差別化できなくなる)の利害の対立である。最終的には、ロサンゼルスオリンピックでもモスクワオリンピックと同様に、ワールドカップに参加したヨーロッパと南アメリカのアスリートはオリンピックに参加できません。この大会ではほとんどの東側諸国が出場をボイコットした影響も大きいが、これまでの東側諸国優位を覆しフランスが優勝、ブラジルが準優勝を果たした。1984年のルールは1988年版でも維持されましたが、追加の段落があります。以前にワールドカップの1試合で90分未満しかプレーしていなかったヨーロッパと南アメリカのサッカー選手が対象でした。 FIFAは1988年のソウルオリンピックから23歳以下の選手の大会にする方針だったが、IOCの強硬な反対によりロサンゼルスオリンピックと同じ出場資格の大会になった。1大会遅れて1992年のバルセロナオリンピックから現在まで続く23歳以下の規定が導入された(五輪本大会時点で23歳以下の選手のみの大会。厳密にいえば、五輪前年の12月31日時点で23歳未満の選手のみの大会)。これによりオリンピックにおけるサッカー競技はU-17ワールドカップ、U-20ワールドカップと並ぶ年代別世界選手権大会の一環として再編成されることになった。 バルセロナオリンピックの観客数が思ったほど伸びなかったため、IOCはA代表を出場させるよう改めてFIFAに要請したが、FIFAは再度拒否。妥協案として、1996年のアトランタオリンピックから本大会時点で23歳以下の選手という出場資格はそのままで、本大会のみ24歳以上の選手(オーバーエイジ)を最大3人まで加えることができることにした。 2009年3月、FIFAは選手の年齢制限を21歳以下に引き下げる方針を定め、同年6月の第59回FIFA総会に諮ることを決定した。IOCは収入が見込める競技の一つである男子サッカーに、世界的に著名な選手が多く出場することを希望し続けており、この年齢制限改訂に対しては五輪競技からの除外や参加チーム数の削減を持ち出して抵抗した。これに対しFIFAは第59回FIFA総会における議題から年齢制限変更案を取り下げ、代替案として「ワールドカップに出場経験のない選手であれば年齢に関わらず出場可能」とする、モスクワオリンピックとほぼ同様の参加資格を提案した。2009年12月のFIFA理事会(2016年2月26日以降FIFA評議会)では、2012年のロンドンオリンピックにおける男子サッカー競技は従来通りの「23歳以下+オーバーエイジ最大3人」で行うこととした。ロンドンオリンピックの次の2016年のリオデジャネイロオリンピックについても、2010年6月の第60回FIFA総会で、従来通りの「23歳以下+オーバーエイジ最大3人」で行うことを決定した。
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