フェア・アンフェア論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 00:57 UTC 版)
「アクロイド殺し」の記事における「フェア・アンフェア論争」の解説
このトリックがフェア・プレイでないとする側の代表は、ヴァン・ダインである。彼は「読者に対し仕掛けられている(この)トリックは、推理小説の作者の合法的な手法とは言いがたい。それゆえ、作中のポアロ探偵の捜査ぶりにはときおり秀でたところがあるのだが、その効果も結末によってすべて帳消しにされている。」と述べ、本作品を全然推奨しがたいものとして葬っている。そして、ヴァン・ダインはこの後、1928年に「ヴァン・ダインの二十則」を発表し、その第2項にて叙述トリックを否定している。 フェア・プレイであるとする論者の代表は、ドロシー・L・セイヤーズである。セイヤーズは、「このような(ヴァン・ダインの)見解は、作者のためうまくトリックにかけられたことを残念がって漏らすごくあたりまえの意見にすぎず、必要なデータはすべて提供されているのだから、読者たるもの鋭くさえあれば犯人を推定し得るはずであって、これ以上のことを作者に要求することはできない。つまり絶えず機知を働かせて、完全なる探偵のように、あらゆる人物を疑ってかかるのが読者の仕事だろう。」とクリスティを全面的に支持している。 エラリー・クイーンも支持者の一人である[要出典]。「探偵作家論」を著したトムソンも「作中ポワロ探偵は『各人各様の解釈があるだけのことで、私はなにひとつ事実をかくしてはいない』と述べており、記述者シェパード医師も『ポワロ自身の発見したものをことごとく私に見せてくれただけ』と記しているし、ともにヴァン・ダインの所説と矛盾している」と肯定している。 レイモンド・チャンドラー、ジュリアン・シモンズなど、本格推理小説に対しシビアな意見を持つ論者でも、評価している者がいる[要出典]。 日本ではアンフェアだという声はかなり高かったらしい。雑誌『宝石』誌上の江戸川乱歩と小林秀雄との1957年の対談において、小林は次のように批判している。 「いや、トリックとはいえないね。読者にサギをはたらいているよ。自分で殺しているんだからね。勿論嘘は書かんというだろうが、秘密は書かんわけだ。これは一番たちの悪いウソつきだ。それよりも、手記を書くと言う理由が全然わからない。でたらめも極まっているな。あそこまで行っては探偵小説の堕落だな。」「あの文章は当然第三者が書いていると思って読むからね。あれで怒らなかったらよほど常識がない人だね(笑)。」 ただ、対談の相手である江戸川乱歩はフェア・プレイ派である。横溝正史もまた小林信彦との対談で、対談のある流れのなかで「アンフェアーという気がしますしね」とは口にしているものの、エッセイ「クリスチー礼讃」で、「フェアーであろうがアンフェアーであろうが面白いのだから仕方がない」と賛辞を贈っており、自作の『蝶々殺人事件』などでこのトリックを借用している。 フェア・アンフェア論争の総括をしている瀬戸川猛資は、ミステリ界では「トリックそのものには先例があるものの、仕掛けの大きさにおいて比類のない作品である。犯人は嘘を書いているわけではないのだから決してアンフェアではない。こういう意表をついた大トリックに欺されることにこそ本格ミステリの醍醐味があるのであって、それに文句をつけるのはミステリの本当のおもしろさが理解できない人ではないか――というような意見が大勢をしめ、アンフェア説は完全に駆逐されてしまった。」と述べた上で、この作品には「客観性」がまったくないとして、アンフェア説に立っている。
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