パンクの誕生とロックの危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:19 UTC 版)
「ポピュラー音楽」の記事における「パンクの誕生とロックの危機」の解説
75年のロック界ではハード・ロックとプログレッシブ・ロックが主流だったが、ハード・ロックのスターたちはすでに大物となり高度な演奏技術を駆使するようになっており、プログレッシブ・ロックでは高価なシンセサイザーを駆使したり現代音楽とコラボレーションしたりして芸術志向になっていた。ソフト・ロックという、美しいメロディーとコーラスを特徴とするジャンルも人気があったが、本来のロックではないと批判されてもいた。こうした状況に対し、初期ロックの率直なエネルギーの復活を目指して、パンク・ロックが起こる。 パンクはもともと「粗悪品、不良、ちんぴら」を意味する俗語で、70年代ロンドンで始まった原色に染めて逆立てた髪などを特色とする奇抜な若者ファッションを指すようになった。パンク・ロックはロックに残っていたブルース色を削ぎ落し、粗野で荒削りで急テンポの演奏を特徴としている。コードはスリーコードにパワーコードを加えた程度のきわめて簡単なものだった。ニューヨークでアンダーグラウンド的な人気を得ていたいくつかのグループにロンドンのブティック経営者が刺激を受けて、素人の少年を4人集めて75年にセックス・ピストルズをデビューさせる。彼らは破壊的な言動で世間を騒がせつつ、慢性的な不況で不満を抱える若者たちに爆発的な人気を得た。 ロック界の新たな中心になるかに見えたパンクだったが、もともと保守層からの反発が強く演奏会場では中止運動がたびたび起きていた上、セックス・ピストルズの解散や元メンバーの殺人事件や麻薬中毒死でブームは終焉を迎え、パンクのムーブメントは78年にわずか3年ほどで幕を閉じる。 パンクの後には、ハード・ロックの延長線上にあるヘヴィ・メタル(アイアン・メイデンが初期の代表)や、パンクの様々な部分を引き継いだニュー・ウェーブが現れる。もっともニュー・ウェーブは多様な傾向をひとまとめにした言葉で、シンセサイザーを駆使して商業主義的な若者向けの大衆音楽を作り出したエレクトロ・ポップからパンクの切り拓いた道をさらに先鋭化させようとしたオルタナティブ・ロックまで含んでおり、あまり適切なジャンル名ではない。ロックは再び多様化したように見えたが、60年代のような大物の登場は見られず、個性が薄れていた。レコード会社の意図通りに売れる曲をつくるロックの路線は「産業ロック」と揶揄された。78年から82年までに、レコードの売り上げとコンサートの収益がそれぞれ10億ドルも減少し、アメリカのロック音楽産業は深刻な危機に陥る。
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