バンド始動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/16 07:00 UTC 版)
「ベック・ボガート & アピス」の記事における「バンド始動」の解説
そして1972年、カクタスと第2期ジェフ・ベック・グループが解散し、再びバンド結成の機運が訪れる。3人に加えてジェフ・ベック・グループのマックス・ミドルトン(キーボード)、『ジーザス・クライスト・スーパースター』のキム・ミルフォード(ボーカル)、以上5人でリハーサルを行い、ジェフ・ベック・グループ名義で8月1日よりツアーを開始。しかしミルフォードのステージパフォーマンスに不満を感じ解雇、第2期ジェフ・ベック・グループからボブ・テンチを呼びツアーを続けるが、ツアー終了後ミドルトンとテンチが脱退してしまう。 ポール・ロジャース招聘を図るもこれに失敗し、最終的にトリオ編成の「ベック・ボガート & アピス」として9月16日にスタートを切ることになった。10月、ヨーロッパ・ツアー。11月、アルバムのレコーディング。翌1973年2月、アルバム『ベック・ボガート & アピス』発売、イギリス・ツアー。 1973年5月に日本ツアーを行う。ツアーは5月14日 日本武道館、5月16日 名古屋市民会館、5月18~19日 大阪厚生年金会館 とまわり、大阪公演の模様はライブ盤『ベック・ボガート & アピス・ライヴ・イン・ジャパン』として1973年10月21日にリリースされた。2013年には曲順を実際のセットリスト順に改めた40周年記念盤がリリースされた。しかし帰国後にボガートが交通事故で重傷を負ってツアーがキャンセル、夏になる頃には解散の噂が飛ぶようになる。 11月にバンドは第2回ヨーロッパツアーを開始、ツアーは11月21日のフランス公演から始まった。クリスマス休暇の後イギリスツアーに入り、1974年1月10日のニューカッスルから始まる。全部で15回のショーが行われ、ブライトン、リーズ、リヴァプール、シェフィールド、ブリストル、ロンドン、スコットランド、グラスゴー、エディンバラでライヴが行われた。ツアーは2月29日のエディンバラ、カレー・ピクチャー・ハウスで終了した。その後にはニューオリンズのマルディグラ・フェスに出演している。 1974年1月26日にバンドはヨーロッパツアーの一部としてレインボー・シアターでコンサートを行った。このコンサートは1974年9月9日にアメリカで「Rock Around the World」のタイトルで全編放送された。これはバンドによる最後の録音となり、セカンドアルバム収録曲のプレビューともなった。このコンサートの様子は『At Last Rainbow 』のタイトルで海賊盤としてリリースされた。「ユー・シュック・ミー」と「ブギー」を含んだメドレーは後に1991年のコンピレーション『ベッコロジー』に収録された。『ベッコロジー』にはこの他にもセカンドアルバム用の「Jizz Whizz」が収録されたほか、当時の BB&A はもちろん後述の CB&A などでもこの時期の楽曲が演奏されている。 セカンドアルバムのセッションは1974年1月に行われたが、ベックとボガートの確執もあって完成には至らなかった。1974年5月18日、ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌は「数週間に亘って囁かれてきた、BBAの解散が差し迫っているという噂はベーシストのティム・ボガートによって確認された。」との記事を掲載した。メロディ・メーカー誌もバンドの解散に関する記事を掲載した。バンドは二枚目のスタジオアルバム完成前に自然解散となった。 At Last Rainbow 収録曲 "Laughin' Lady" (5:53) "Lady" (7:05) "Morning Dew" (12:22) "Superstition" (6:07) "(Get Ready) Your Lovemaker's Comin' Home" (7:40) "Blues De Luxe - You Shook me" (5:34) "Rainbow Boogie" (11:32) ["BBA Boogie"] その後ボガートとアピスは、1999年に Char と共に Char, Bogert & Appice (CB&A) 、翌2000年にリック・デリンジャーと共に Derringer, Bogert & Appice (DB&A) としての活動も行った。
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