バストーニュの攻防戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:01 UTC 版)
「バルジの戦い」の記事における「バストーニュの攻防戦」の解説
第26国民擲弾兵師団は12月23日からバストーニュの幾つかの地点に対し順に攻撃を集中し両軍の間で激戦が行われたが、なかなかアメリカ軍の防衛線を突破することができなかった。B軍集団司令官モーデルは、北進するアメリカ第3軍に対抗するため戦略予備兵力の第15装甲擲弾兵師団(英語版)の戦場投入を許可していたが、同師団の増援を受けた第47装甲軍司令官のルトヴィッツは、同師団を第26国民擲弾兵師団長ココットの指揮下に入れ、ココットにクリスマスまでにバストーニュを攻略するよう命じた。ココットも増援を含めれば十分な戦力になると考えて、連合軍が航空支援できない午前4時に攻撃開始し、航空機が飛来する8時までには増援の第15装甲擲弾兵師団が市街に突入できると宣言している。しかし、攻撃開始の午前4時までに到着した第15装甲擲弾兵師団の部隊は、擲弾兵3個連隊のなかの1個連隊、戦車もわずか18輌と期待外れであった。後続部隊の到着を待っていたのでは、連合軍の航空支援が開始されてしまうことから、ルトヴィッツは作戦開始を命令、ココットは不満ながらも応じている。 12月25日、午前3時ドイツ空軍の数機の爆撃機が夜間爆撃に飛来、投下された爆弾1発が野戦病院に着弾し20名の死傷者を出したが、その中にはベルギー人のボランティア看護婦ルネ・ルメール(英語版)とオーガスタ・マリー・チウィ(英語版)もいた。もう1発は司令部付近のクリスマスツリーに命中して吹き飛ばしたが、司令部に損害はなかった。この爆撃を合図にしてドイツ軍は進撃を開始したが、ココットの計画は第26国民擲弾兵師団第77擲弾兵連隊がバストーニュ北西のシャン(フランス語版)、第39擲弾兵連隊が南西のアセノワ(フランス語版)、第26偵察大隊が西方のスノーシャンに牽制攻撃をかけて守備隊を引きつけている間に、第15装甲擲弾兵連隊がエムルール(フランス語版)を突破し一気にバストーニュ市街に突入しようというものであった。 第77擲弾兵連隊の兵士はカムフラージュの白い軍服を身につけてアメリカ軍の陣地ににじり寄ると、「目をつぶって突っ込め」の掛け声のもとでシャンのアメリカ軍陣地に突撃して白兵戦を演じた。アメリカ兵とドイツ兵が村落内の一戸一戸の建物を巡って激しい白兵戦を戦っているなか、バストーニュ西方のフラミソウル(ドイツ語版)から、第15装甲擲弾兵師団のV号戦車パンターを主力とする18輌の戦車が、同師団第115連隊第1大隊の兵士をタンクデサントさせてバストーニュに向かって突進した。アメリカ軍の増援はシャンに急行していたので、第15装甲擲弾兵師団は大きな抵抗を受けずに順調に進撃し、午前8時45分には「我らバストーニュの西端に到達」と報告してきた。順調な進撃報告を受けたココットは「思ったよりアメリカ軍の防備は弱い」と自信を深めて、部隊を二手に分けての進撃を命じ、11輛のパンターからなる主力はたちまちエムルールに進み、第327グライダー連隊第3大隊の戦闘指揮所に迫って、大隊長は慌てて近くの森林に逃げ込んでいる。しかし、そこに増援の第10機甲師団のB戦闘部隊のM4と第705駆逐戦車大隊(英語版)のM18ヘルキャット4輌が到着し、パンターとの間で激しい戦車戦となった。とくにM18ヘルキャットはその機動性を活かして、パンターの側面や後面に回り込んで次々と撃破、村落内に突入できたパンターも空挺隊のバズーカに狙い撃たれて、順調な進撃を報告したわずか数十分後の午前9時台にはパンターは全車撃破された。タンクデサントしていたドイツ兵とアメリカ軍空挺兵との間でも激しい白兵戦が戦われ、アメリカ軍は多大な損害を被ったが、ドイツ兵は全員戦死するか捕虜となった。もう1隊の7輛のパンターは第502空挺連隊戦闘指揮所を攻撃したが、アメリカ軍の集中砲火で6輛が撃破、1輛が鹵獲され、擲弾兵も全員が戦死するか捕虜になり、文字通り全滅した。牽制攻撃をしていた第77擲弾兵連隊もシャンを攻略することができず足止めされていたが、その頃にはすっかり陽も登っており、戦闘爆撃機P-38が多数飛来してドイツ軍に激しい攻撃を行った。攻撃失敗を悟ったココットはルトヴィッツに作戦中止を要請したが「バストーニュ攻略は絶対に必要である」と却下された。しかしドイツ軍はアメリカ軍の空と陸からの猛攻にすっかりと士気を喪失してしまい、その状況を見たココットは午後3時に独自で作戦中止を命じた。 翌日にも10輌の突撃砲と第26国民擲弾兵師団の兵士を満載したSd Kfz 251で市街への突入をはかったが、これもアメリカ軍の猛反撃で全滅するなど、ドイツ軍はバストーニュを攻略することができずに大損害を被っていた。バストーニュの攻防戦では特に第705駆逐戦車大隊のM18ヘルキャットが活躍し、得意のヒット・エンド・ラン戦法(英語版)でティーガーⅠ戦車を含む39輌の戦車と多数の装甲車両を撃破し、大いに貢献している。
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