バイエルン州の軍司令官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/14 14:54 UTC 版)
「オットー・フォン・ロッソウ」の記事における「バイエルン州の軍司令官」の解説
戦後、ドイツの敗戦と皇帝退位に失望して一時軍務を離れるも1919年にはヴァイマル共和国軍の工兵隊や歩兵学校の司令官に就任して復帰した。1922年12月にアルノルト・フォン・メール(de)に代わってミュンヘンに駐留する国軍第VII軍管区の第7師団師団長となる。さらに第VII軍管区司令官となる。 1923年9月にグスタフ・フォン・カール元バイエルン首相がバイエルン州の立法権と行政権を併せ持つバイエルン州総督に任命された。これによりバイエルン州議会とバイエルン州政府は力を喪失する一方、バイエルン駐留第VII軍管区司令官のロッソウ少将とバイエルン治安警察長官のハンス・フォン・ザイサー(de)大佐の発言権が拡大し、バイエルン州はカール、ロッソウ、ザイサーによる三頭政治体制に移行した。カール総督はバイエルン保守の典型であり、中央政府のグスタフ・シュトレーゼマン首相やヴェルサイユ条約に反対し、フランスのルール地方占領に反対した。また自由主義者、社会主義者、共産主義者を嫌った。バイエルンのヴィッテルスバッハ王家の復活も視野に入れていた。カールは、ベルリン進軍を狙うナチ党をはじめとするバイエルン右翼・保守勢力と緊密に連絡を取り、ベルリン中央政府への敵対を強めた。ロッソウ少将はヴァイマル共和国軍をバイエルン側に取り込もうとハンス・フォン・ゼークトとの仲介役になっていたといわれる。恐らくそれを危険視されて10月20日には中央政府の国防相オットー・ゲスラーがロッソウ少将を第VII軍管区司令官から解任すると発表した。これに対してカールは第VII軍管区をバイエルン国軍に改組すると宣言しロッソウ少将をバイエルン国軍司令官に任命した。そしてまもなくカール政府はベルリン進軍を決意し、ナチ党の突撃隊が所属する闘争同盟などに対してその準備を開始させたが、ゼークトから早まらないよう説得があったこともあり、カールはベルリン進軍について日和見になっていった。イライラしたナチ党党首アドルフ・ヒトラーはカールを除いてロッソウ少将とザイサー大佐と組んでベルリン進軍を起こそうとしたが、ロッソウもザイサーもカールを除く事には消極的だった。
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