バイエルン州首相就任と辞任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 13:58 UTC 版)
「マックス・シュトライブル」の記事における「バイエルン州首相就任と辞任」の解説
1988年10月、バイエルン州首相フランツ・ヨーゼフ・シュトラウスの急死を受け、バイエルン州議会で193議席中124票の賛成を得て後継のバイエルン州首相に選出された。攻撃的でエネルギッシュだった前任者に比べて、シュトライブルは控えめな政治スタイルを身上としたが、1990年11月の州議会選挙では得票率を0.9%減らしただけで絶対多数維持に成功した。東西ドイツ再統一直後の1990年12月には全州首相会議を主宰した。1992年7月には第18回世界経済会議がミュンヘンで開催された際、デモ隊500人が警官隊により包囲され拘束されたが、手段が強硬すぎるという批判に対してシュトライブルは「いささか強硬なのがバイエルン風だ」と発言した。 1993年1月、バイエルン政界を揺るがした「アミーゴ疑獄」が発覚し、その威信が失墜した。紛糾の末同年5月にバイエルン州首相辞任に追い込まれた。シュトライブルは自身の職を守るために党友を脅迫したことが明らかになっており、CSU党幹事会でスーツケースを頭上に掲げて「この中にはびっくりするような書類が入っている。君たち全員についてのだ!」と言ったという。しかしシュトライブルの辞任は避けられず、その「書類」が公開されることは無かった。
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