ハーモニカの日本への渡来と国内企業の誕生とは? わかりやすく解説

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ハーモニカの日本への渡来と国内企業の誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 07:21 UTC 版)

ハーモニカ」の記事における「ハーモニカの日本への渡来と国内企業の誕生」の解説

ハーモニカ日本渡来した正確な時期不明である。正規輸入や一販売記録は、1896年明治29年8月刊の『手風琴独まなび』に掲載され広告に「西洋横笛ハーモニカ25銭、30銭、50銭、80銭、1円20銭、2円、2円50銭 、呼吸任す自在袖珍楽器なり」とあるなど、明治20年代までさかのぼることができる。 明治末には日本産製品開発が始まる。1910年明治43年)、日本国内ハーモニカ製造最初に成功したのは、声社の小林政次郎だった(K. ŌSEISYA. と社名が箱に書かれている ECHO HARMONICA国内向けではヒットしたまた、Music Master という12ハーモニカ輸出もされていた)。 その後小さな町工場などで多数ハーモニカ作られていったが、1902年明治35年創業玩具卸問屋からスタートした真野商会が、ホーナー社の不良品買い取り玩具ハーモニカ製作したところ大変好評だったため、他社吸収合併して、初め企業としてハーモニカ日本大規模に製造したのが、後に、トンボ企業マークとした、トンボ楽器製作所である。ハーモニカ製造1917年ごろからスタートしているので、現存する国内企業としてトンボ楽器製作所最古ハーモニカ製造企業となる。 やや遅れてマークとして採用した日本楽器製造(現・ヤマハ)がこれに続き、かなり遅れて1952年昭和27年)に操業始めた鈴木楽器製作所本格的に参入するそのほかにも、ヤマト東海楽器などそのほかに様々な小規模企業出来た中、3度大きな戦争迎えて国内現存する企業は、トンボ楽器製作所ヤマハ鈴木楽器製作所3つ集約されたが、2016年現在ヤマハ旧・日本楽製造)は学習ハーモニカ数種のみしか販売しておらず、本格的なハーモニカ第一線からは退いた依って国内企業現在のハーモニカ・メーカーとしての地位有る企業は、トンボ楽器製作所鈴木楽器製作所のみである。日本最古のハーモニカ・メーカーの声社は第二次世界大戦時東京大空襲焼失した当時声社に在籍していた早乙女勝元は後に『東京大空襲』を執筆している。 大正から昭和初期にかけてハイカラ好きの若者の間でハーモニカ人気があり、日本では太平洋戦争終了以前は、「口琴」とも言われていた。プロの間では以前はこの言葉使われていた。中国語圏では現在でもこの表記通用する1905年明治38年)、日本販売されホーナー社のハーモニカ名は「カチドキ笛」である。日露戦争時販売されたためにつけられた名前であり、ホーナー社の商売の巧さを垣間見ることが出来る。それらの流行から、大正から昭和初期にかけて各大学などにもハーモニカ・アンサンブルが作られるなど、マンドリン人気二分した

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