ハイヤームのルバイヤート
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「ウマル・ハイヤーム」の記事における「ハイヤームのルバイヤート」の解説
ハイヤームは、宗教的偏見との軋轢を避け、『ルバイヤート」が出回らないように配慮した形跡があり、1200年代の文献には、ハイヤームの名前を冠して記録されたルバーイーは一つとして残されていない。1200年代になり、ようやく少数のルバーイーがハイヤームという名前とともに現れる。 現在においても真偽の定まらぬ「ハイヤーム作のルバイヤート」の中で、真作とされる最古のものは13世紀初頭の神学者ラーズィーの『クルアーン』注釈書の中の一首と、神秘主義者ナジュムッディーン・ラーズィーの著作『下僕たちを導く者』に登場する二首とされる。ほぼ間違いなくハイヤーム作とされるこうしたルバーイーには、「誰も本当のことは語らぬ、どこから来てどこに去るかを」、あるいは「何人も創造主の意図は分からぬ」という神による創造への懐疑が如実に現れているが、その主調低音には、隠された世界から現れる、この存在という意味自体を知ることは誰にもできない、1092年には、マリク・シャーばかりか、大宰相ニザーム・アル・ムルクの暗殺により、自身の大きな後ろ盾を失い、自らの内的な世界に閉じこもる。無数の抑圧と悲しみを感じ取り、一瞬の解放と忘却を求め、「ワイン」と「美女」を賛仰し、古代イランの栄光に思いを馳せる。しかしながら、哲学的営為の果てに彼がたどり着いた地点が、人間の理解には限界がある、という根本的な懐疑の世界であった可能性がある。哲学的思惟の限界と宗教的抑圧への深い絶望のなかで、「すべては、つかの間の、はかない、危ういものでしかない」という表現が生まれたとすれば、結果として、『ルバイヤート』の映し出す表現世界が、真なる実在である神以外の事物は、すべて陽炎のものでしかない、と説く神秘家たちの表現世界と重なり得るであろう。 ハイヤームが優れた科学者であり、合理精神の体現者でありながら、自らの信条の本質を吐露したと思われる『ルバイヤート』に、神という実在を前にして自我を滅却し去る神秘主義詩の痕跡を少なからず読み取ることができるのは、ルバーイーという詩形が詩的経験の一瞬の閃きを表現するに優れた刑式であるという事実にも密接に関わっている。神以外のうつろな世界から、真なる絶対的な実在である神のみが存在する世界に没入することを目指す神秘主義者は、その修養の過程で、人間の心の動きのなるままに神を見る段階に達するとされる。個々の神秘家の心象のままに、神が神秘家の前に表出する体験を表現するのに、ルバーイーは特に適した詩形でもあった。神の無条件的存在を否定するかにみえるハイヤームを激しく批判しているアッタールのルバーイー作品の古写本をみると、そこに、ハイヤームの優れた四行詩としてしられている詩が数点見出される、という研究者の報告がある。刻々と変化する自らの神秘的境地をルバーイーで表現したアッタールと、閉塞的な宗教風土での哲学的思惟を感じたハイヤームとの接点はルバーイーという詩形を通じて醇乎たる詩念をそのまま芸術へと高める能力にあったといえる。
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