ハイヤームと二人の学友
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 08:11 UTC 版)
「ウマル・ハイヤーム」の記事における「ハイヤームと二人の学友」の解説
ハイヤームはニーシャープールの職人の一家出身だと考えられている。幼少期をバルフの町で過ごし、その地で学び、また当時にあってもっとも著名な学匠の一人であったシャイフ・ムハンマド・マンスーリーから個人的な指導を受けた。青年時代には、ホラーサーン地域におけるもっとも偉大な師の一人と見なされていたニーシャープールのイマーム・ムワッファクのもとで研究に勤しんだ。 (伝承では)、イマーム・ムワッファクの許で、同じ頃、二人の優れた学生がまた研究を始めていたのであり、そのうちの一人は、後にセルジューク朝の二人の君主にワズィール(宰相)として仕えたニザーム・アル=ムルクであり、いま一人は暗殺教団(ニザール派)の指導者となり隠然たる勢力を築いたハサニ・サッバーフであるという。 卓越した指導者のもとで学んだ者は、誰であっても栄誉と幸運を得ると、当時広く信じられていた。ハイヤームを初めとする三人の学生は友人となり、彼らのうちの誰か一人が幸運に与ることができたならば、互いに幸運を等しく分け合うことを誓約した。ニザーム・アル=ムルクがワズィールとなってのち、ハサニ・サッバーフとウマル・ハイヤームはそれぞれニザーム・アル=ムルクを訪ね、幸運の分け前を求めた。 ハサニ・サッバーフは、帝国の高官の地位を求め、ニザームはハサニの希望を叶えた。しかしハサニの野心は大きく、恩人であるはずのワズィールを失脚させようとして失敗した試みに加担した結果、権力を失った。はるか後年になって、ハサニは暗殺教団の長となって権力を握った。 ウマル・ハイヤームは誓約の履行において、遙かに控えめであり、高官の地位を求めることなく、生活し、科学を研究し、祈ることのできる場所を求めた。ウマルは、ニーシャープールの財務庫より1200ミスカルの黄金を年金として毎年受け取る権利を得た。 (以上の、ウマルを含む三人の人物の逸話は有名であるが、あくまで伝承であり、史実としては確認されていない。ウマルとニザームの生年が30年ほど離れており親子以上の年齢差があることからも、この逸話の信憑性は疑わしい。)
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