ネッテイ相撲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/25 05:12 UTC 版)
まず裃姿(但し上半身は下衣無し)に素足で刀を手にした成人男子2人が、袴の股立を執り刀を水谷神社本殿前へ捧げて拝礼し、拝礼後神主から刀を受け取って石段を境内中段へ降る。中段では肩衣を脱ぎ、それで刀を巻いて両手で捧げ持ち、降りて来た石段へ向かって3歩両足飛びをし、刀を石段へ置き右手で刀を押さえ左手で腰を撫でる。次いで左右手を入れ替えて同じ所作をし、最後に再度右手で刀を押さえ左手で腰を撫で、3歩下がって中段中央でお互いに向き合う。中段広場には土俵が作られる事もないが、軽く一礼をした後に相撲と同じ仕切りの姿勢を取り、以下のように進行する。 「ヨイ、ヨイ、ヨイ」の掛け声で左右左と四股を踏み、「ヨイ」と声を掛けて右足を左前に踏み出しながら右手を拳に握って突き出す 同様に四股を踏み、「ヨイ」と声を掛けて左右逆の所作をする 同様に四股を踏み、左手で相手の首を抱き右手は腰に当てて、「ヨイ、ヨイ、ヨイ」の掛け声で跳躍しながら左に廻り元の位置に戻る 同様に四股を踏み、左右の手を入れ替えて同様に右に1廻り 最後に同様の四股を踏み、両手で相手の肩を抱き同様に左に1廻りして元の位置へ戻り、両手を腰に当てて左右に一礼して終える 相撲を終えた両人は石段の上に置いた刀を肩衣を巻いたまま両手に捧げ持ち、本殿前へ昇ってそれを拝殿へ納め、引き続き境内最下段に設らえた土俵で子供相撲が行われる。 かつては相撲の取り手は次に見る「宮当番」から「御当(おとう)」とも呼ばれた頭人(とうにん)が選ばれて勤めており、相撲の後には拝殿で翌年の頭人を決める籤引きと神酒を酌み交わす「お当渡し」が行われたが、現在では宮当番とは関係無くほぼ決まった人物が行っている。 ネッテイ相撲は勝負を決するものでなく、土俵も行司も無い特殊な相撲となっており、これは土地の悪霊を鎮めるとともに作物の稔りを感謝する神事、或いは呪術的な相撲神事と見られ 、平安時代に宮中で行なわれた相撲節会の流れを汲む現行の相撲の原型ともされ、「養父のネッテイ相撲」という名称で平成15年(2003年)2月20日に国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択され、翌16年3月9日には兵庫県の無形民俗文化財に指定にされている。 なお、現行下では勝負を決する形ではないが、かつては最後に肩を組んで左右に廻った後に元の位置へ正確に戻った方を勝ちとしたようで、そこからこれは作物の豊凶を占ったり、部落として何らかの決定をなす等の二者択一の選択を行なう必要が生じた場合に、代表者を選んで勝負をさせ、その結果を以て神意を伺った誓約(うけい)に起源を持つものではないかとも説かれる。それによると、この相撲で拳を突き出すのはじゃんけんで、「あいこ」で勝負が着かない時に肩を組んで廻る勝負となったもので、土俵が無いのはそのため、また行司がいないのは観衆によって容易に判定が下され得たためではないかという。また、「ネッテイ」は「にって相撲」「ねったえ相撲」の転訛とも言われ、当地方で繰り返す事を「練って」と呼ぶために四股を何度も繰り返す事に由来するとも、「練る」ような相撲に由来するとも言われる。
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