ナチ党政権掌握後とは? わかりやすく解説

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ナチ党政権掌握後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 08:05 UTC 版)

バルドゥール・フォン・シーラッハ」の記事における「ナチ党政権掌握後」の解説

1933年1月30日ヒトラー内閣発足多くの党機関当面ミュンヘンに留まっていたが、シーラッハの全国青少年指導部はただちにベルリン帝国首相府移されている。1933年4月5日にはユーゲント団員50名を使ってドイツ青少年連合全国委員会」(Reichsausschuß der deutschen Jugendverbände本部占拠した1933年6月17日にはドイツ国青少年指導者に任じられ、「ナチ党全国青少年指導者ドイツ国青少年指導者となったナチ党の「一元化政策の下、ヒトラーユーゲント以外のドイツ様々な青少年組織次々と統合、あるいは解散させ、ドイツ青少年ヒトラーユーゲントへの一元化目指した。特に共産主義者ユダヤ人青少年組織徹底的に滅ぼされた。またハインリヒ・ヒムラーら党の有力者からも後援受けていた「大ドイツ連盟のようなヒトラー連立関係にあった保守系青少年団体解散追い込まれている。プロテスタント系青少年組織もすぐに片付いたルター派プロテスタント全国教会総監督ルートヴィヒ・ミュラー(de:Ludwig Müller (Theologe))とシーラッハの協定により、1933年末にはヒトラーユーゲント引き渡されている。一方カトリック系青少年組織は、1933年7月20日ヒトラーローマ教皇庁の間で結ばれた政教協約コンコルダート)」もあって、手を出すのは難し存在だった。カトリック系青年団体は、1935年ザールラント返還後ぐらいから理由をつけて少しずつ解散追い込まれ1939年になってようやく全て解散された。 ナチ党政権掌握以降ヒトラーユーゲントへの加入者は激増した1933年末には10歳から18歳までの青少年230万人ヒトラーユーゲント加盟している。これはヒトラー政権掌握した直後ユーゲント団員数せいぜい11万人ほどだった)に比べる20倍の団員増加である。そして「ヒトラーユーゲント法」導入後1936年末には600万人上の団員数となった。 シーラッハは全てのドイツ青少年監督下に置き、さらにその教育掌握しようと奔走した。彼はそのために「ヒトラーユーゲント法」を起草した教育相ベルンハルト・ルストは「学校教育がすみに追いやられてしまう」としてこれに猛反対したが、1936年12月1日ヒトラーは「ヒトラーユーゲント法」に署名して公布した。この法律により、それまでナチ党私的な組織だったヒトラーユーゲントは公式に国家機関となり、それ以外青少年組織禁止された。そして10歳から18歳までの青少年強制加入させられヒトラーユーゲントは、第三帝国青少年組織総称となった。ただし実際にヒトラーユーゲントへの加入義務化されたのは1939年3月25日からだった。 シーラッハが教育への進出強める中、他の党幹部、特に教育相ルスト対立深めた。また1937年2月国防軍最高司令部エルヴィン・ロンメル中佐当時)をシーラッハの全国青少年指導部との交渉役に任じ青少年軍事予備教育は軍に任せるよう、たびたびシーラッハに圧力をかけるようになった。 シーラッハは反ユダヤ主義者だったし、ユーゲントの子供たちにも反ユダヤ主義教育施していたが、それは狂信的というほどのレベルではなかったという。反ユダヤ主義暴力など極端な形現れ時には上流階級出身のシーラッハの道徳心がそれに反発したのだった1938年11月9日発生した水晶の夜」での野蛮な反ユダヤ主義暴動にはかなり辟易したようで、一部ユーゲント団員参加聞いたシーラッハは、ユーゲント団員に対してこのような犯罪的行為には参加してならない」と命令下している。ただしシーラッハにはユダヤ人助けようという行動見られない。彼はヒトラー全面的に信じており、こうした反ユダヤ主義暴力行為聞いても「理念から少々はみだしてしまった行為」程度にしか思わなかったという。

※この「ナチ党政権掌握後」の解説は、「バルドゥール・フォン・シーラッハ」の解説の一部です。
「ナチ党政権掌握後」を含む「バルドゥール・フォン・シーラッハ」の記事については、「バルドゥール・フォン・シーラッハ」の概要を参照ください。

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